ジャズ編<526>60年の灯が消えて

 「今日、店に行くから」

 福岡市の小串洋一(72)に今でもこのようなジャズファンからの電話が入ることがある。同市・中洲のジャズスポット「リバーサイド」が閉店したのは2018年の11月だ。小串は6代目のオーナー兼マスターだった。

 店は九州のジャズ喫茶としては草分け的な存在で、1960年にオープンした。60年近くジャズの灯を守ってきた。最後のドアを閉める時、小串には多様な感情が交錯した。

 「残念、申し訳ない、悔しいといったさまざまな思いがありました」

 とりわけ、九州の戦後ジャズ史は中洲でスタートした。キャバレーがその軸であったが、キャバレーが消えた後もジャズの灯を掲げていた。中洲ジャズのシンボルでもあった。

 閉店した一つの理由はビルの建て替えで、他の場所を探した。決定的なことが体に起き、闘病生活に入った。

 「がんの宣告を受けました」

    ×   ×

 小串は九州大学時代からこの店に通っていた。卒業後、保険会社に勤めた。店のマスターは代々、客がバトンを受けてきた。5代目マスターから「店を継がないか」とカウンター越しに言われた。酔った勢いもあって「やる」と返した。会社を辞め、カウンターの内側の主人になったのは2004年だ。中洲だけに酔客もよく入ってきた。

 「けんかもしたが、人生相談になることも多かった」

 一方的に拒否はしなかった。小串には「演奏者、聴き手を含めてジャズは不良性、猥雑(わいざつ)性を持った音楽」との考えがあった。ただ、度を過ぎた客には大音響でフリージャズを鳴らし、自然と退散するように仕向けたりもした。

 小串がマスターになってライブに比重を移した。特徴的なことは、九州では数少ないフリージャズに力を入れた店だった。

 フリージャズはある意味、予定調和的なモダンジャズのスタイルを破壊する自由な演奏形態だ。1950年代後半から起こり、現在も続いている。

 「モダンジャズをずっと聴いてくると飽きてくる。常に新しさが必要だ」

 閉店前の数年間、フリージャズのバンドを集めた「リアルジャズレボルーション」を毎年、開催した。

 マスターの座を降り、小串はフリーになった。

 「学生時代と同じようにゆっくりとジャズを聴いています」

 小串は笑いながら最後に付け加えた。

 「『リバーサイド』を継ぎたい方は連絡をください。名前をお譲りします」

 =敬称略

 (田代俊一郎)

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