あの日の春秋:中内さんが残した地域の宝物(2005年9月20日)

戦後60年、日本の社会が勝ち組と負け組の色分けをしたがるなかで、ダイエー創業者中内㓛(いさお)さんの訃報を聞くのは、いかにも寂しい▼経歴をたどるとその感はいよいよ増す。戦時中はフィリピン戦線をさまよった。国民が等しく味わった飢えの記憶が「中内商法」の原点をなす。主婦向けの店から始め、庶民の暮らしに商品を安い価格で送り込み続けた▼ホテルや外食にも手を広げ、一大グループを築き上げた。晩年は資産を手放した。バブルの崩壊と軌を一にする。バブルをはさんだ成功と失敗は日本経済の盛衰とも重なる。中内さんに戦後の縮図を見る人もいるだろう▼バブル崩壊の直前、何度かお会いしたことがある。経団連の副会長のころだ。副会長ポストには時代の空気が反映される。流通業界から中内さんが初めて選ばれた。あのころが絶頂期でもあった▼笑顔をあまり見せない人が、九州の話になると笑みが漏れた。傘下に収めたホークス球団を踏み台に、福岡での夢を膨らませていた。一端をドーム球場のにぎわいがいまに伝える。ドームのある風景は日本一元気な都市の顔として全国に紹介された▼人の栄枯盛衰は世の習い。中内さんの成功と失敗もその一つに記録されるのだろう。私たちには別の記憶の仕方がある。地域の恩人。ダイエー店舗の整理が進むなかでその名を刻まなければならないのが、寂しさをいっそう募らせる。(2005年9月20日)

 特別論説委員から 中内さんが亡くなってきょうで16年。ダイエーはイオンの子会社に、球団はソフトバンクホークスになった。夢を託したドーム球場の名も「ペイペイドーム」に変わった。泉下で寂しく思っているかもしれないが、中内さんが残してくれた球団とドームは今も地域の宝物であることは変わらない。新型コロナ禍が落ち着いたら、また元気都市のにぎわいの中心となってくれよう。(2021年9月19日)

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