福岡市民に時告げた「ドン」都心に眠る幕末の砲台跡、保全へ

 福岡市は、中央区北天神エリアの須崎公園に残る幕末期の砲台「洲崎台場」跡の保全に乗り出す。明治以降は空砲で時を告げる「午砲(ドン)」で市民に親しまれた時代もあり、市は8月に始めた公園再整備の一環で解説板を設けるなどして、埋もれた福博の歴史に光を当てたい考えだ。

 市博物館などによると、台場は日本に異国船が押し寄せた幕末、沿岸警備のため全国で造られた。山口県には国指定文化財「長州藩下関前田台場跡」があり、東京の地名「お台場」も、かつて設置されていたことに由来する。

 福岡藩は18世紀、唐船の密貿易対策で台場を現在の北九州市沿岸に設置した。幕末には、福岡市の福岡城北側に位置する博多から唐人町の沿岸に14基が存在した記録がある。ただ、14基中12基は土入りの俵で築いた仮設の台場だったとみられ、現在は消失している。

 洲崎台場跡は須崎公園北側の那の津通りに面し、その北側はかつて海だった。樹木の陰で目につきにくいが、高さ約40センチの石垣が長さ約50メートルにわたって延び、一部は崩れ石が点在。地中にも埋まっているとみられる。歩道沿いにも高さ約1メートルの石垣があるが、これは護岸の名残とされる。

 複数の史料によると、洲崎台場は1863(文久3)年4月に着工し半年で完成。玄界灘に向け20基前後の大砲を設置できる規模だが、実際に発射されることはなかったとみられる。

 明治期に入り役割を終えると、民間の「私立号砲会社」が青銅砲を調達し、時報として空砲を撃ち始めた。午砲は地域の名物になったが、ごう音への苦情が出たことなどから、後に現在の西公園(福岡市中央区)がある山の上に移された。

 市は会社から事業を継承し、市役所でサイレンを導入する1931(昭和6)年まで使用。空砲を撃つ担当者は「ドンのおじさん」と親しまれ、福博の街には午砲を歌った「ドンガラガン節」が流行したという。

 須崎公園の再整備は2026年3月に完了予定。台場跡がある場所は「桜並木ゾーン」として、歴史を感じられる広場として整備される。市の担当者は「地域の歴史を広く知ってもらいたい」としている。 (小川俊一)

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