現役指導者のバレエダンサーは84歳 終戦後湧き出た「とにかく踊りたい」の熱源は今も

 失敗を怖がらず、逃げずに持つ力をすべて出して―。佐賀、長崎両県でクラシックバレエ教室を展開する「のむらバレエ」(本部・佐賀市)の相談役、野村理子(みちこ)さんは84歳のバレエダンサー。戦争で暮らしや社会が一変しても大好きな踊りを諦めなかった。今も現役で指導する熱意の源は、戦災で体験した苦難、支えてくれた周囲への感謝。20日は敬老の日。先達から学ぶことは実に多い。

 「指先まで真っすぐ。神経がいってないよ」。8月上旬、中学生9人が練習する佐賀市の教室。タイツ姿の野村さんも体を動かして指導する。張りのある声が響くと、生徒たちは「はい」と口元を引き締める。野村さんは自らの手足の動きも鏡で確認する。「精いっぱい、やらなきゃいけないことをやる」。今を懸命に生きることの大切さを、知っている。

 実家は大阪・船場で木綿糸問屋を営んでいた。幼少から日本舞踊を習い、7歳の頃「腕や脚を失った人たち」を前に舞ったと記憶する。傷痍(しょうい)軍人を慰問する発表会だった。

 当時、戦況は悪化の一途。大阪大空襲が始まる前年の1944年、小学1年の時に一家で京都の山村に疎開した。疎開先では子どももまだ寒い早朝から、はだしで麦踏みをした。働かなければ食べられない。「やるべきことをやる。その結果、生きることができている」。そう学んだ。農家の食料と交換するため、母親の着物は1枚ずつ消えた。

 終戦を迎え、京都市内へ。5年ほどは困窮が続く。ようやく生活を立て直せたころ、親にこう切り出した。「とにかく踊りたい」。子ども向けの舞踊教室で初めてバレエに触れた。指導者の夫が翻訳したフランス語の指南書がベース。理論的な指導ではなかったが、踊る喜びにあふれた。

 21歳で、日本のバレエ界を牽引(けんいん)した「谷桃子バレエ団」(東京)に入団。猛練習を重ね、各地で公演した。だが結婚して、夫が家業を継ぐため実家がある佐賀市に移ってからは、再び苦労の日々。家業が傾き、離婚後に3人の子どもを食べさせるため40代半ばでバレエ教室を開いた。

 支援もあった。企業経営者や開業医。地方に「正統なクラシックバレエを根付かせたい」と考える人たちに恵まれ、一時は長崎、佐賀両県で5教室を開き、教え子は200人を数えた。現役を貫いているのは、恩返しでもある。

 教室の運営はプロダンサーとして舞台にも立つ長男の一樹さん(53)に任せ、自身は週2回の指導に専念する。体の切れを保つため毎朝のストレッチと筋トレは欠かさない。

 体一つでやってきた自負が「ゼロは努力で1にできる」と語らせる。若い教え子たちに、逆境に負けず道を開く大切さを伝え続ける。

 (河野潤一郎)

佐賀県の天気予報

PR

PR