「終わった政治家」退路も勝算もなかった岸田氏の起死回生の一打 (3ページ目)

「敵をつくらない」堅実に要職歴任

 早くに権力闘争の恐ろしさを肌で知り、永田町きっての“慎重居士”になった。

 2000年の「加藤の乱」。池田勇人元首相から続く名門派閥・宏池会の“プリンス”だった加藤紘一氏が主導したが土壇場で尻込み。「なぜやめるんですか」。岸田氏らが血気盛んに迫っても覆らなかった。

 加藤氏は総裁の芽を断たれた。「絶対に負け戦はしてはいけない」。心に刻んだ岸田氏。「敵をつくらない」とされる性分で堅実に要職を歴任していく。

 12年には派閥を率いた。第2次安倍政権で外相や政調会長も担うと「ポスト安倍」の最右翼に浮上。しかし、「与えられた役割を全力でこなし、首相は目指してこなかった」(岸田氏周辺)。安倍晋三氏の顔色をうかがう「禅譲路線」に、「優柔不断」「戦えない男」の評価がまとわりついた。

 長年の後見役である元広島県議会議長の林正夫さん(80)に岸田氏は「政治の世界に禅譲なんて絶対にないんです」。脱皮を模索しているようだった。

 雌伏の末にようやくつかんだ総裁の座。「政治にとっては決断力が大変重要だ」。記者会見で自らに言い聞かせるように表情を引き締めた。

 (大坪拓也)

関連記事

PR

緑のコンサート

  • 2021年12月3日(金)
  • 福岡市健康づくりサポートセンター あいれふホール

PR