低投票率の遠因考…学生に政治参加のレッスンを

───作家・平野啓一郎さん

 選挙の度(たび)に問題になるのが、投票率の低さである。

 投票日が迫ると、様々(さまざま)な呼びかけが行われるが、なかなか効果は上がらない。

 そもそも私たちは、民主主義国家の主権者として、政治主体となるためのレッスンをほとんど受けていない。確かに、民主主義の理念や統治機構の仕組みなどは、社会科や政治経済の授業で習うし、ディベートの授業を取り入れている学校もあろうが、だから投票に行くかと言えば、また別の話である。

 間接民主主義の制度下で、有権者は一体、議員に何をさせようとしているのか?--無論、法律などのルールを作らせるのである。

 より良い社会にするためには、古いルールを改め、廃止し、新しいルールを定める必要がある。多様な人間が住むこの社会の中で、全員が納得し、守らなければならない一つのルールを定めることは容易ではない。しかし、その目標とそこに至る過程こそが政治なのである。

 政治参加のレッスンとは、つまり、自分たちで従うべきルールを定めることであり、学校教育では、学級委員会や生徒会の活動が、限られた実践の場であるが、私の経験上、その自治の余地は、ほとんど無きに等しかった。

    ◆   ◆ 

 私が通っていた中学や高校にも、今で言う「ブラック校則」的な服装規定などが色々(いろいろ)とあったが、生徒総会で校則の改正を求める決議を行っても、職員会議で突っ張ねられるのが常だった。私は高校時代、生徒総会後の職員会議は公開にすべきだという要求を出したことがあるが、「身分が違う」と却下されてしまった。

 大体、生徒会役員の選挙にしても、校則のどこをどう変える、というような話が公約になることはなく、どういう学校にしたいか、といった決意表明が一般的で、あとは、人気投票に近かった。

 大学に入れば、自治会の活動はある意味、活発だったが、今度は、一般学生との間に大きなギャップがあった。

 つまり私たちは、選挙権を得るまで、身の周りのルールを自分たちで変え、生活を向上させるという経験を一切欠いたまま、いきなり投票所に行けと命じられるのである。

 これでは、政治に関心を持てないのも無理はない。

 もちろん、その後、人生のどこかで政治への関心を強めてゆく人たちがいる。しかし、その機会を逸したままの人たちは、無関心だと非難されるより、寧(むし)ろケアされるべきなのである。生の困難を自己責任にせず、現行制度が解決の術(すべ)を持っていないのならば、政治家を通じて新たに法律などのルールを作らなければならない。選挙とは、そのためのものである。

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 私たちは、どこかから、突然、「リーダーシップのある」政治家が出現して、すべてお任せで社会をよくしてくれることを期待してはならない。野党が頼りないならば、有権者が育てる必要があろう。

 今日では、スウェーデンの環境活動家、グレタ・トゥーンベリ氏のように、校則どころか、世界のルールまで変えようと奮闘する十代の若者たちがいる。

 「ブラック校則」にせよ、自校の生徒会だけでなく、ネットで他校の生徒会や弁護士などと連帯し、改正を求めるということも可能であろう。

 重要なのは、学校がそうした生徒の運動を、可能な限り認めてゆくことである。それを決して許さず、ただひたすら、教師を「忖度(そんたく)」し、定められたルールには指一本触れてはならないと信じ込んで疑わない生徒たちを育て上げたとして、どうして彼らの政治的無関心を責めることなど出来(でき)ようか?

 【略歴】1975年、愛知県蒲郡市生まれ。2歳から福岡県立東筑高卒業まで北九州市で暮らす。京都大在学中に「日蝕」で芥川賞。「マチネの終わりに」で渡辺淳一文学賞。「ある男」で読売文学賞。近刊は「本心」。

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