釜山国際映画祭25年、アジア最大級へ発展、定着 課題は地場企業育成

 1996年に始まった釜山国際映画祭が今秋で25年を迎えた。作品上映を巡る内部対立や新型コロナウイルス禍に見舞われても毎年欠かさずに開催し、アジア最大級の映画祭として定着。今年も6~15日に約70カ国・地域の223作品を上映した。映画祭の歩みに合わせて釜山ではロケ誘致が進んだが、地場の映画産業育成など「映画の都市」づくりには課題ものぞく。 (釜山・具志堅聡)

 映画祭開幕の6日夜。監督や俳優がレッドカーペットに登場すると、カメラのストロボが一斉にたかれ、釜山市海雲台区の会場周辺を照らし出した。昨年はコロナ禍で開幕・閉幕式が中止され、レッドカーペットの入場イベントもなかった。今年は参加者にワクチン接種やPCR検査の陰性証明を義務付けて実施にこぎ着けただけに、会場は2年ぶりの熱気に包まれた。

 7日には特別イベントとして、昨年の米アカデミー賞で4冠に輝いた韓国映画「パラサイト 半地下の家族」のポン・ジュノ監督と、今年7月のカンヌ国際映画祭で日本初の脚本賞を受賞した「ドライブ・マイ・カー」の浜口竜介監督が対談。ポン監督が浜口監督の独特な演出を称賛したほか、浜口監督が釜山で予定していた「ドライブ・マイ・カー」のロケを、コロナ禍の影響で広島に変更したことなどを明かした。オンラインで参加した女性(23)は「より良い演出のための工夫を知ることができ、勉強になった」と話した。

「上映の自由」を守りながら

 韓国初の国際映画祭として始まった釜山国際映画祭は「上映の自由」を守りながら支持を集めてきた。初回の映画祭では、日本の大衆文化の開放前にもかかわらず、日本映画を上映した。担当者は「多様な映画を上映し、表現の自由が広がるきっかけになった」と振り返る。北朝鮮映画を流したこともある。

 上映の自由が最も問われたのが2014年。旅客船セウォル号事故で当時の朴槿恵(パククネ)政権の対応を批判的に描いたドキュメンタリー作品を巡り、主催団体の一つである市が「政治的な中立性を欠く」と中止を求め、上映に踏み切った責任者を事実上更迭した。背後には政権の圧力を指摘する声もあり、映画関係者からは「映画祭をボイコットする」との反発を招いた。

 事態を収拾するため16年に当時の釜山市長が組織委員長を辞任。運営体制を刷新し、映画祭は存続することになった。「存廃の岐路に立たされたが、国内外の映画関係者の反発と闘争で危機を乗り越えられた」と担当者は強調する。

 25年にわたってアジアを中心に良質な映画を集めて上映したことで、国内外の配給担当にも影響を与えてきた。韓国映画に詳しい文寬奎(ムングァンギュ)・釜山大教授は「韓国とアジアの映画を海外に紹介する役割を果たしている」と評価する。

「釜山には仕事をする場所がほとんどない」

 映画祭が定着する一方、自然に恵まれ高層ビル群も撮影できる釜山は、映画のロケ地としても評価を高めてきた。立役者は99年に誕生した団体「釜山フィルムコミッション(FC)」。ロケの誘致や撮影協力などを担う。李升儀(イスンイ)・戦略企画チーム長は「韓国初のFCで、映画祭を経済的にも役立つ行事に発展させるため設立された」と説明する。

 年間の撮影本数は映画やドラマ、CMなど計約80作品。コロナ禍で映画撮影は減ったが、動画配信サービス向けの需要は堅調だ。コロナ感染が続く中でも、釜山市は地下鉄での撮影を認め、今年は既に80作品を超えた。釜山FCがもたらした経済効果は約20年で計4400億ウォン(約414億円)に上るとの試算もある。

 釜山の警察や行政も撮影には好意的だ。道路を封鎖する大規模な撮影に応じ、釜山港でのロケも認める。撮影費支援などの特典も用意し、魅力を高めている。

 課題は映画制作会社の少なさだ。こうした会社はソウルに集中しており、釜山はロケ地としての役割にとどまる。映画制作は各地で撮影した後、明るさの調整や音を加える「後半作業」をソウルなどで行う分業体制ができあがっている。釜山にも昨年11月、後半作業を担う「釜山サウンドステーション」がオープンしたが、どれだけ需要を取り込めるかは分からない。

 釜山地域には映画関連学科を持つ大学があるが、専門人材を雇う受け皿は小さい。産業の裾野を広げ、ソウルなどへの人材流出を抑える必要がある。釜山の映画関係者は「釜山には仕事をする場所がほとんどない。これが解決できれば、釜山はハリウッドのように真の映画の都市になれる」と期待を寄せる。

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