アジアフォーカスに「先立つ」映画祭の存在 佐藤忠男氏ともつながり

梁木靖弘さん寄稿【さらば、アジアフォーカス 映画祭の回想12】

 アジアフォーカスに直結する動きが1987年に始まる。当時、映画の自主上映をする「オフィス・ヌーベルヴァーグ」という事務所があった。代表は前田秀一郎氏と今村ミヨ氏。ぼくが初めて韓国映画に出会ったのはここの上映会で、イ・チャンホ(李長鍋)監督『寡婦の舞』(1983年)。社会の最底辺へ迫りながら、映像は実験的で、女優イ・ボヒ(李甫姫)のエロティックな存在感とあいまって、強烈な印象を残した。

 ウィキペディアの前田秀一郎の項によると「1976年12月より福岡で映画の自主上映を始める。(略)1987年より、毎年夏に『福岡アジア映画祭』を開催。これは福岡市主催の『アジアフォーカス・福岡映画祭』より開始が先立つもので、ボランティアスタッフのみで運営される全く民間の映画祭である」。

 「『アジアフォーカス・福岡映画祭』より開始が先立つ」と、「ボランティアスタッフのみで運営される全く民間の」という表現には、アジアフォーカスへのいらだちが感じられる。...

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