首里城この手でよみがえらせる 大牟田出身の宮大工、西さんが意欲

 首里城(那覇市)の正殿などが全焼した火災から31日で2年。焼失した主要6棟の一つ「書院・鎖之間(さすのま)」は福岡県大牟田市出身の宮大工、西武彦さん(69)=沖縄県糸満市=がかつて復元を手掛けた。「再建に携わることができれば、宮大工の技術を全てつぎ込み、最高の城をよみがえらせたい」。西さんは地元の若い大工たちともう一度、腕を振るいたいと願っている。

 「首里城が燃えている」。2年前の10月31日早朝、親戚からの電話に驚いてテレビをつけた。炎が高く舞い上がり、正殿は無残に崩れ落ちていた。「何とか消し止めてほしい」。祈るような思いで見つめたが、建築責任者を務めた書院・鎖之間も炎にのみ込まれた。

 大工だった父親に21歳で弟子入りし、23歳から8年間、熊本県の宮大工の下で修業。独立後は大牟田を拠点に寺社建築を手掛けた。20年ほど前から沖縄での仕事が増えるようになり、13年前に移り住んだ。

 沖縄戦で全焼した首里城では2004年、国王が執務に当たった書院と王子らが控えた鎖之間の復元が始まった。宮大工の技術が求められ、西さんに声が掛かった。

 焼失前の首里城は、高級建材のイヌマキが使われていたとされる。まっすぐで節がない木が大量に必要だったが、植林されておらず確保は難航した。

 印象に残っていることがある。イヌマキを求め、本島北部の民家を訪ね歩いたときのことだ。「先祖代々伝わる庭木」と大切にしていた人たちが、「首里城のためなら」と次々と無償提供してくれた。そのかいあって08年に完成した。「復元された首里城を見て涙を流して感謝してくれた。あの人たちも悲しんでいるはず」

 2年前の火災後、西さんに「うちのイヌマキを使ってほしい」と何件もの電話があった。再建に向けて沖縄県に届いた寄付金は53億円を超えた(22日現在)。「県民の首里城に対する思い入れの強さに驚いた」。西さんの父方の両親と母親は、かつて琉球王国の一部だった鹿児島県与論島出身。独立国として栄えた王国の象徴を誇りに思う人々の心情が理解できるような気がする。

 台風被害を避けるために木造の建物が少なかった沖縄には、寺社建築の技術を持つ大工が少ない。前回の首里城復元は県外の宮大工が主要な役割を担った。

 西さんは、寺社建築を手掛ける際は、人材育成も考えて県内の大工を採用してきた。来年度から始まる正殿再建では、国も可能な限り県内の職人を活用し、技術者を育てる方針だ。

 「自分たちで再建し、技術を継承しようという若者が一人でも出てくれば、宮大工として思い残すことはない」。西さんも声が掛かれば、集大成の思いで培った技を後進に伝授するつもりだ。 

 (野村創)

   ◇    ◇

【ワードボックス】首里城

 14世紀半ばに築かれたとされ、約450年間、琉球王国の王城として使われた。過去に数回焼失し、1945年には米軍の攻撃で全焼。戦後、復元の機運が高まり、92年に正殿などが完成し一部開園。2019年2月に全面開園した。同10月に焼失後、政府は再建に向けた工程表を決定。正殿は22年度に本体工事に着手し、26年度までに整備予定。その後、北殿や南殿の再建を目指す。

関連記事

福岡県の天気予報

PR

PR