山伏開いた博多の「宝照院」、老朽化で修験の山・宝満の麓に里帰り

 博多の街に残る修験道の寺院「宝照(ほうしょう)院」(福岡市博多区冷泉町)が、本堂の老朽化に伴い、ゆかりのある宝満山(福岡県太宰府市)の麓に移転することになった。ほら貝の音が響く辻祈祷(つじきとう)などで130年にわたって地域の安全を祈り、住民たちから親しまれてきた寺は、惜しまれつつ初代住職の山伏が修行した場所に戻って新たな歴史を刻む。

 宝照院の大岡重実住職(75)によると、同寺院のルーツは修験の山だった宝満山の宿坊にある。1891(明治24)年、明治政府の修験道禁止令で山を下りた山伏が、住民に乞われて無住の寺に移り、宝照院を開いた。宝満山から持ってきた「大黒天」像は最澄の作と伝えられ、年に1回ご開帳されている。

 修験道の寺院は寺町が残る博多部でも2院のみ。夏の辻祈祷では、大岡住職や山伏姿の修行者が地域の交差点に結界を張り、邪気の侵入を防ぐ。8月の七夕祭りや12月の大黒天福迎祭など季節の祭りは子どもたちや参拝客でにぎわい、地域との結び付きも強い。

 大岡住職は、28歳で父の良道さん(故人)から4代目を継いだ。宝照院には檀家(だんか)がないため会社勤めで生活費を工面しながら、寺の祭典や祈願に励み、火渡りや峰入りなど修験道の厳しい修行も積んだ。本堂に隣接して建てた自宅の1階を喫茶店とし、妻のケイ子さん(74)の切り盛りで収入を補ってきた。

 しかし江戸後期の建築とされる本堂と庫裏(くり)の老朽化は、2005年の福岡沖地震なども影響して年々進行。修理を重ねても雨漏りや壁の傷みは激しくなった。現地での建て替えは経済的に難しく、ケイ子さんが体調を崩したことから、本堂の維持を断念した。

 大岡住職が縁のあった宝満山の麓にある竈門(かまど)神社に相談したところ、土地と新たな本堂の建築にめどが立ち、移転を決めた。年内で現在地での仏事に区切りをつけ、1年ほど後に新しい宝照院に移転し、大黒天像が本尊となる予定だ。

 今の本堂は解体されるが、地域に定着している七夕祭りなどの祭事は今後も地元と一緒に続けていく。同じ町内の飲食店経営、阿部昭憲さん(84)は「祭りの世話役などで寺に関わってきただけに残念で寂しい」と名残惜しげ。大岡住職は「お世話になってきたが、先行きが見通せずやむを得ない。前向きに歩んでいきたい」と話す。

 (真弓一夫)

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