誰が、どこを描いたのか…海と山の神々しさをまとう屏風の謎

 実りと祈り「海幸山幸」展㊦

春夏冬秋

 日本の古美術に造詣の深い随筆家白洲正子が「私の一番好きな風景画である」と言い切る屏風(びょうぶ)がある。国宝「日月(じつげつ)山水図屏風」。右隻(せき)には、桜咲く春から青々とした山並みが映える夏に移り変わる風景を描き、左隻は冬の雪景色から秋へと変わり、太陽と月が配されている。海とも川ともつかぬものが四季の移ろいを囲み、松の木がダイナミックに踊っている。

 室町時代に制作されたこの屏風の作者は不詳だ。研究者によって僧侶、絵師と意見が分かれる。どこの地を描いたのかも分からない。左隻の四季の並びが冬から秋となっている意図も謎である。

国宝「日月山水図屏風」(いずれも大阪・金剛寺所蔵)

 この屏風は1989年、東京国立博物館で開かれた特別展「室町時代の屏風絵」で注目され、2018年には国宝に指定された。白洲をはじめとした文化人たちはその価値を再発見し、描かれた場所について想像を膨らませてきた。

 「日本人が自然の中に、どれほど多くのものを見、多くのことを学んだか、無言の中に語るように見える」

 白洲は著書「かくれ里」で、そう評している。

かくれ里

 屏風が収蔵されている大阪府河内長野市の金剛寺から約5キロの滝畑地区。人里離れたここは近年、奥河内とも呼ばれ、深緑の山並みが幾重にも重なり厳かである。白洲は、この辺りを描いた屏風なのではないかと推測する。

 82年に完成した滝畑ダムによって今は集落のほとんどがダムの底に沈んでいる。だが現地を訪ねると、偶然にもそのダムの水面が、屏風に描かれた海のような景色と重なっていた。周囲には山が連なり、虫や鳥の鳴き声とサイクリングを楽しむ人の声だけが静かに聞こえる。まさに「かくれ里」のような心地よい場所である。

「日月山水図屏風」の世界と重なって見えた山深い滝畑ダム周辺

 俗世と離れた大自然だけを描く屏風は、大きくうねる海へ山が流れ出すかのような自然のダイナミックさもある。「時を経た今でこそ侘(わ)び寂(さ)びが宿るが、描かれた当時は派手で力強く、人々に生きる力を与えたのではないでしょうか」。そう語る金剛寺の堀智真座主は、四季の配置の謎についてヒントをくれた。横ではなく、前に右隻、後ろに左隻と重ねるように配置する。そうして円を描くように屏風の周りを巡れば、確かに春夏秋冬の順になる。

 「輪廻(りんね)転生を表しているのかもしれませんね」(堀座主)

那智勝浦

 謎めいているからこそ人々はこの屏風に引きつけられ、自由に想像を巡らせてきた。この屏風を長く研究してきた東京大大学院の高岸輝准教授によると、左隻に滝があることから、過去には和歌山県南部、那智勝浦町の沖合から熊野三山を望んだ風景との説を唱えた研究者もいるという。確かに三山の一つである熊野那智大社には神武天皇が発見したとされる世界遺産の那智の滝があり、滝そのものがご神体としてあがめられている。

 日本屈指の生マグロ漁を誇る那智勝浦町。町内には無人販売所がいくつもあり、早朝から買い求める地元の人の姿がある。まだ薄暗い午前5時半ごろ、那智湾の海岸に日の出を見に赴いた。

 左手には朝もやに包まれた那智山、右手にはどこまでも広がる太平洋。眺める先に太陽が昇り始めた。ふと山の方を振り返ると、鮮やかな緑に色づき、光と影で立体的に浮かび上がった山々が目に飛び込んだ。頭上には多角形の金箔(きんぱく)と銀箔(ぎんぱく)を使って描かれた屏風と同じような空が広がり、かなたにはかすかに那智の滝が見える。つい数分前とはまるで異なる景色。その神々しい力に背中を押されているようで、思わず息をのんだ。

那智湾の海岸から明け方の那智山を望む

 「空が砕けている」

 作家橋本治は著書「ひらがな日本美術史2」にそう記した。日本美術のデジタル復元師、小林泰三は橋本のこの本を読み、米国の歌手キャロル・キングの「空が落ちてくる」のメロディーが頭に流れてきたという。

 < I feel the earth move under my feet. I feel the sky tumbling down.(ああ、地球が揺れている! ああ、空が落ちてくる!)>

 屏風の作者もきっと、何か神々しいものを感じながら、絵筆を走らせたに違いない。

  • 熊野古道

 熊野那智大社へと続く熊野古道を歩いた。こけむす石段を一歩一歩踏みしめる。うっそうと茂る杉を抜ける木漏れ日が柔らかい。

 熊野地方では比丘尼(びくに)と呼ばれた女性たちが、絵図「那智参詣曼荼羅(まんだら)」を使って人々に那智大社参詣を説いてきた。ピーク時には「蟻(あり)の熊野詣(もうで)」と称されるほど人々を引き寄せる神聖な場所だった。

「那智参詣曼荼羅」(佐賀・鍋島報效会所蔵)

 石段を上り抜き、ようやく視界が開けた。大社を後にし階段を下ると、いよいよ目の前に那智の滝が現れた。水はものすごい勢いで流れ落ち、離れていても滝のミストが飛んでくる。浴びているうちに心が洗われるようだった。

 誰が、どこを描いた屏風なのか。その謎の答えは容易には見いだせない。ただそれが、海や山に宿る神々しさを見事に表現していることは間違いない。海と山に囲まれた日本には、今風に言えばパワースポットが至る所にある。そこにはまさに、八百万(やおよろず)の神が存在するのだろう。

 =敬称略

(丸田みずほ)

▷▷実りと祈り「海幸山幸」展㊤

 特別展「海幸山幸 祈りと恵みの風景」 12月5日まで、福岡県太宰府市の九州国立博物館。西日本新聞社など主催。海と山にちなんだ考古遺物や仏教絵画など国宝11件、重要文化財24件を含む96件を展示。自然と共生してきた日本人の原点に迫る。 会期中は展示替えがある。観覧料は一般1600円、高大生1000円、小中生600円。月曜日休館。問い合わせはNTTハローダイヤル=050(5542)8600。

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