「韓国主体思想派ゴッドファーザー」の今 金日成氏に失望、思想転向

 「韓国主体思想派のゴッドファーザー」。かつてそう呼ばれた韓国民主化運動の元闘士、金永煥(キムヨンファン)氏(58)は、拍子抜けするほど柔和な笑顔を浮かべ、待ち合わせたカフェに現れた。1990年代半ばまで、北朝鮮の統治理念である主体思想を信奉する非合法地下組織「民族民主革命党」を率いた後、北朝鮮の独裁体制を厳しく批判する立場に転向し、抑圧された人民の救済と民主化を目指す運動を続けている。波乱に満ちた半生は、分断された祖国の針路を巡る民族の葛藤を映し出す。 (ソウル池田郷)

 「当時、私たちは真剣に祖国と民族の運命を正す方法を見つけるため夜を徹して探求した」。金氏は82年にソウル大法学部へ入り、学生運動を始めた。

■運命

 当時の学生運動は、南西部の光州市で80年5月、民主化要求デモを軍が武力で鎮圧した光州事件や、軍事独裁の全斗煥(チョンドゥファン)政権への怒りが原動力だった。同世代には、〓(〓は十の下に田、その下に日)国(チョグク)元法相ら文在寅(ムンジェイン)政権を支える革新系与党の中核を担う人物が数多くいる。

 学内サークルでマルクス経済学などを学び、社会主義政権の実現を目指した金氏はやがて北朝鮮の主体思想にはまった。「鋼鉄」のペンネームで理念や論理を平易に説いたパンフレットが学生や労働者の必読書となり、金氏は「運動圏」と呼ばれる左派陣営の論理的な支柱となった。

 「米帝国主義の下僕の軍事政権と闘って民主化と南北統一を実現する」-。金氏が理論化した「民族解放理論(NL)」は、左派陣営の反米意識や北朝鮮に従順な「従北」思想の源流となった。

■衝撃

 89年7月、金氏の自宅の電話が鳴った。「あなたの家の前にいるが、会えるか?」。外に出てみると、40代半ばの恰幅のいい男がいて「北朝鮮から来た連絡代表だ」と名乗った。

 最初は韓国の情報機関員ではないかと疑った。男は金氏の胸の内を察したように言った。「数日後の夜12時に私が話す内容が平壌放送(北朝鮮発の短波ラジオ放送)に出てくるから聞いてみなさい」。実際に数日後の放送で「平壌のキム・ヨンフィ氏がソウルのイ・ギョンス氏に送るはずの手紙は読まないことになりました」という、暗号めいた男の言葉がその通りに読み上げられた。

 金氏は、工作員の手引きで朝鮮労働党に入党した。当時のレートで約185万円に相当する900万ウォンの工作金のほか、秘密の連絡に用いる無線機、乱数表などを受け取った。

 だがこの工作員と出会った後、世界各国で金氏の思想を根幹から揺さぶる出来事が相次いだ。89年11月、東西ドイツを分断するベルリンの壁が崩壊。最も衝撃だったのは、金日成(キムイルソン)主席と親交が厚かったルーマニアのチャウシェスク大統領の処刑だった。独裁者の権力乱用や腐敗、国民の貧困など社会主義国の恥部がさらされた。

 「既存の理念に疑問を感じ始めた89年の後半にもし北朝鮮工作員が訪ねてきていたら、私は彼に会わなかったのではないか」。金氏の脳裏に後悔が入り交じった思いがよぎるという。

■老人

 金氏は北朝鮮の体制への疑問を膨らませながらも、北朝鮮との交信などの地下活動を続けた。91年5月には、工作員に促されて極秘訪朝。約2週間の滞在中、金日成氏と計2回、約5時間半にわたり懇談や食事を共にしたという。

 だが、かつて仰ぎ見るような存在だった最高指導者に、強く失望した。「主体思想について議論をしたくて、その理論や哲学に関する質問を繰り返ししたが、金日成氏はその都度、話をそらして深入りしたがらなかった」。日本統治時代に抗日パルチザン活動を率いたとされる思い出話にふける姿は「過去だけ回顧して生きる老人」と映った。

 北朝鮮の主体思想を体系化した思想家で97年に脱北した黄長〓(〓は「火へん」に「華」)(ファンジャンヨプ)氏と、後に韓国で言葉を交わす機会があった。金氏が訪朝の体験を語ると、黄氏は「金日成氏は主体思想をよく理解していなかったのではないか」と証言したという。

 金氏は92年、北朝鮮の指示で結成された民族民主革命党のトップ、中央委員長に就任。なお思想的に転向をしたことを公言せず、指導者として活動を続けた。金氏は「全ての組織員を説得して思想の流れを転換するためだった」と釈明するが、当時の判断には今なお世間の批判がつきまとう。

 金氏がようやく、北朝鮮の独裁体制を批判する記事を月刊誌に発表したのは95年4月。北朝鮮に追従する組織内勢力との対立を経て党を解散し、北朝鮮の民主化運動の道を志す。

■犠牲

 金氏は99年、仲間たちと「北朝鮮民主化ネットワーク」を結成した。北朝鮮で多数の餓死者が出た90年代に急増した脱北者から厳しい食料事情や、暴力が支配する政治犯収容所の人権状況などの証言を収集。貿易業者として北朝鮮に出入りする朝鮮族の中国人や、仕事や留学生として中国に滞在する北朝鮮人と接触し、協力者を増やしていった。

 活動が軌道に乗りかけた2012年3月、活動拠点の中国・大連で拘束され、拷問を受けた。韓国紙は当時、中国の情報機関と通じる北朝鮮の国家安全保衛部の関与を疑った。成長が続くソウルの様子や、北朝鮮の体制を批判する映像を収めたUSBメモリーを協力者に手渡す活動などが北朝鮮当局を刺激していたからだ。

 16年にはソウルで命を狙われた。講演会の休憩中、トイレで「私は中国に住む同胞です」と言いながら近づいてきた男は、不自然に長い間、握手をした手を離さなかった。男は北朝鮮の工作員で、毒液を塗った手で金氏と握手して殺害を図った疑いがあると、後に韓国の情報当局から聞いた。金氏は「幸い直後に手を洗ったので難を逃れたのかもしれない」と振り返る。

 金氏らの北朝鮮民主化活動は、金正恩(キムジョンウン)朝鮮労働党総書記の体制下、壁にぶつかっている。経済制裁の長期化は国家財政を悪化させているが、正恩氏が進めた農業改革や企業改革は一定の成果が出ているためだという。「金正日(キムジョンイル)総書記の時代よりも国民生活が安定する一方、韓国映画を視聴した住民を厳しく摘発するなど恐怖体制を敷くことで、体制への不満が表に出にくくなった」と金氏は分析する。

 金氏は17年に出版した著書で、かつて北朝鮮を信奉する運動を率いた過去を述懐して「私は致命的な誤りを犯した」とつづった。かつて信じた思想に見切りをつけ、運動から身を引いた同士も少なくない。北朝鮮国内の協力者らが当局に拷問を受けて死亡するなど、金氏らの活動には多大な犠牲も伴ってきた。

 それでも北朝鮮の民主化と、その先にかすむ民族統一に向けた歩を進める覚悟だという。「北朝鮮と兄弟の血を分けた韓国の活動家が、北朝鮮の惨状を見て見ぬふりをするのは責任回避であり、自己欺瞞(ぎまん)だから」

 主体(チュチェ)思想 北朝鮮の統治理念で、思想における主体、政治における自主、経済における自立、国防における自衛を柱とする。1950年代の中ソ対立を背景に大国に振り回されない独自路線化を目指して体系化されたとされる。当初は「人(人民)が全てのものの主であり、全てを決定する」としていたが、首領の指導こそ主体を確立する核心とする「革命的首領観」が登場し、世襲体制に正統性を与える根拠となった。

 北朝鮮民主化ネットワーク 1999年結成。中国などの協力者らを通じて北朝鮮の民主化を支援しているほか、韓国で北朝鮮の人権をテーマにしたセミナーや国際会議を開催。北朝鮮向け短波ラジオ放送や、世界初の北朝鮮専門ニュースサイト「デイリーNK」を開設し、現在は韓国語や日本語、英語、中国語で情報発信している。金永煥氏は研究委員。

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