戦地で描いた「会いたい」…祖父の絵手紙を陶板碑に 沖縄に建立計画

 太平洋戦争を戦った福岡市出身の兵士が、戦地から妻や幼い子どもに愛情を込めて送り続けた絵手紙を陶板碑にして永遠に残そうと、兵士の孫がインターネットのクラウドファンディング(CF)で資金を募っている。戦死した沖縄での建立を計画。「激烈を極めた戦いを風化させず、平和の尊さを訴えたい」と協力を呼び掛けている。

 兵士の孫は、福岡市早良区の伊藤博文さん(52)。祖父の半次さんは同市博多区でちょうちん店を営んでいたが、日本陸軍に入隊し旧満州国(中国東北部)へ出征した後、沖縄に転戦。沖縄戦が終結する5日前の1945年6月18日に戦死した。

 半次さんは出征先から妻や幼い子らに400通に及ぶ絵手紙や書簡を送っていた。戦地の兵士を励ますため家族から送られた慰問品が満州の部隊に届き、品々を喜々として掲げる自身を描いた絵手紙には「(戦友と)甘い物も少しずつ分け合ってお互いに喜んでいる」。着物姿の妻が幼子と一緒に慰問袋に品々を詰める様子を思い浮かべた絵手紙では「この慰問袋へ入ったらお父チャンのところへ行けるの」と記している。

 家族を心配させないようにと明るくユーモラスな絵と妻子を優しく気遣う文章が目立ち、そこに激戦の描写はない。「再び家族と幸せな暮らしを送りたいという素直な気持ちを込めている」と博文さんは推し量る。

 こうした絵手紙は、祖母、父親から博文さんが受け継いだ。博文さんは、絵手紙の企画展や講演活動に取り組む一方、祖父が所属した野戦重砲兵第23連隊が戦った沖縄本島南部を訪ね、戦場の足跡を追った。

 知り合った連隊の遺族から「語り継いでほしい」と託された戦友の証言集によって、連隊総員1180人のうち、1032人が戦死する壮絶な戦場の実相を知った。沖縄県糸満市には40年ほど前に慰霊碑が建立されていることも分かった。

 建立した戦友や遺族は亡くなったり、高齢になったりしている。博文さんは、土台の石材が剥がれるなど劣化が進んだ慰霊碑を修繕し、併せて絵手紙をそのまま陶板碑にして新たに設けることを思い立った。「『家族に会いたい』と、最期まで必死に生き抜こうとした戦死者たちの思いを伝え、平和へのメッセージとしたい」と話す。

 CFの受け付けは20日まで。CFサイトはこちら。

 (下村佳史)

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