撮って聴いて継ぐ被爆体験 長崎の写真スタジオ、若い世代向けに発案

 被爆者のいない時代が迫ろうとする中、若い世代が原爆の記憶を継承する新たな活動に乗り出した。長崎市の写真スタジオ「スタジオ・ワン・ナガサキ」は学生などに参加を呼び掛けて、被爆者の撮影と聞き取りを行う「フォトグラファー体験」をスタート。本年度始まった市の平和発信支援事業に採用された。若者たちは目と耳を通じて、76年前の惨禍に思いをはせ、未来に伝える。

レンズを通してより深く見つめ

 体験事業を発案したのは、スタジオ代表の草野優介さん(33)。長崎大在学中、原爆投下後の長崎を撮影した写真を40年近く収集し、分析を続ける被爆者の深堀好敏さん(92)と知り合った。当時、深堀さんは長崎平和推進協会・写真資料調査部会の部会長。貴重な体験に耳を傾け、レンズを向けた。

 一方で、被爆者は亡くなっていく。

 聴くだけではなく、レンズを通してより深く見つめる-。この二つの動作が重なることで、被爆者の記憶が刻み込まれ、体験を継承する決意が固まった。

 草野さんは写真資料調査部会のメンバーとなり、一昨年、スタジオを開設した。今回の体験事業に乗り出したのは、「自分がやってきたことをより若い人にも体験してもらいたい」。そう考えたからだ。

86歳「胸のつかえが取れた」

 体験事業の対象は中学生から30歳未満とし、中高大生の8人が参加。その一人、被爆3世の長崎北陽台高2年、横木優葵乃(ゆきの)さん(16)は今月2日、祖母の幸子さん(86)から被爆体験を聞き取った。

 「今、核兵器や戦争に対してどう思う?」。優葵乃さんの問いに幸子さんは「難しいことは分からんとけど…。戦争はとにかく二度と見たくない」。

 幸子さんは10歳のころ、自宅近くにあった長崎市南山手町の防空壕(ごう)で被爆。壕に入るよう母に言われ、妹や近所の友人と入り口に立った瞬間、ピカッと大きな光が見えた。慌てて奥に入り、耳をふさいで身を伏せた。数日間を防空壕で過ごし食糧不足で苦しんだこと、被爆した父を家族で看病したこと…。「あの時のことは今でも忘れられない」

 高校の写真部に所属する優葵乃さんは体験を聴き終えると、一眼レフを構えた。当初は表情が硬かった幸子さん。シャッターが切られ、さらに言葉を交わすたびに、徐々に笑みがこぼれた。「胸のつかえが取れた」

 幸子さんはこれまで、被爆体験を記録として残してこなかったという。そうした被爆者は、意外と多い。優葵乃さんは「これからも撮影を続けて、祖母から聴いた話や私が感じたことを文章にまとめたい」と話す。

 若者たちが写した被爆者のポートレートは来年3月の作品展で披露される。 (坪井映里香)

関連記事

長崎県の天気予報

PR

PR