先制打で初の日本リーグ制覇に貢献した「二刀流」藤田倭の涙の理由

麗しき夢 【50】

(2021年11月16日掲載)

 東京五輪の金メダルロードが始まった福島県営あづま球場で、ソフトボールの物語は新たな一歩を踏み出した。ビックカメラ高崎が3連覇を達成した今秋の日本リーグ女子決勝トーナメント。連日の好救援でファンを喜ばせた上野由岐子、決勝を戦ったトヨタ自動車の後藤希友、渥美万奈、米国代表のモニカ・アボット…。有観客となった熱気に応えるように、試合もハイレベルなプレーが続いた。

 子どもたちは上野の投球に身を乗り出していた。今秋からビックカメラ高崎の新部長になった私も記念写真やサインをせがまれた。ファンにとって、無観客だった五輪での私たちは「テレビの中の世界」。やっと近くで接することができた。代表監督を来秋のアジア大会まで続ける私も「この人たちのために、また頑張ろう」とエネルギーをいただいた。何より、あの夏の盛り上がりが一過性ではなかったことに安心した。

 決勝で先制打を放ったのは藤田倭だった。投手は米国との五輪決勝でも右前適時打を放ったアボット。再現VTRのようにミート重視で外角球を強振せず、腕を伸ばして右越え二塁打にした。ヒーローは試合後の表彰式で涙を流していた。

 「投打二刀流」が彼女の代名詞。本人は「打つことよりも投げることの方が好き」と口にするだけに、胸の内は容易に想像できる。決勝トーナメントの2試合で投げたのは年下の浜村ゆかりとエースの上野。藤田に登板機会は訪れず、野手でしか出番がなかった。

 日本代表では39歳の上野とともに二枚看板を務めてきた。尊敬する上野に憧れ、昨季まで所属した太陽誘電から同じ群馬が本拠地のビックカメラ高崎に移籍。強い決意で臨みながら、今季は“本職”で結果を出したとは言えない。向こう気が強い半面、繊細で優しい心の持ち主。「取材で聞かれることは上野さんのことが大半。私のことも知ってもらいたいのに…」。本来は嫌いではない取材対応に悩んでいた時期もあった。

 東京五輪では3試合連続本塁打と活躍し、金メダルを懸けた米国との大一番でも打者に専念した。一方で投手としては主戦の働きができなかった。そんな藤田の心情は痛いほど分かる。日本一になった試合後。「来年、この舞台であなた(が投げる姿)を見たい」。私はベンチで抱きしめながら伝えた。藤田は力強い口調で「来年は絶対に頑張ります」と返してくれた。「ユニホームを脱ぎます」と言い出さないか心配しただけに、心からほっとした。

 12月で31歳になる藤田にとって、初の日本リーグ制覇。インタビューでは自分の気持ちを率直に語っていた。誰よりも負けず嫌いなのに、負けてしまう自分がいる。でも、受け入れることも大事。心に火をともせば、火は上に燃え上がる。目からあふれ出た悔しさは必ず成長の糧になる。球場の外では福島の木々が色づいていた。燃えるような紅葉に負けないぐらい、美しい藤田倭の涙だった。

 (ソフトボール女子日本代表監督)

 ◆宇津木 麗華(うつぎ・れいか)1963年6月1日生まれ。中国・北京市出身。元中国代表。88年来日、95年日本国籍取得。現役時代は内野手で日本代表の主砲、主将として活躍し、シドニー五輪銀メダル、アテネ五輪銅メダル。2003年に日立&ルネサス高崎(現ビックカメラ高崎)の選手兼任監督就任。04年に現役引退後は11年から15年まで代表監督を務め、12、14年の世界選手権優勝。16年11月、再び代表監督就任。群馬女子短大を聴講生として卒業。右投げ左打ち。

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