全斗煥元韓国大統領が死去 経済成長実現の一方で民主化運動を弾圧

 【ソウル池田郷】韓国で1979年に起きたクーデターで実権を握り、軍事独裁政権を7年余り率いた全斗煥(チョンドゥファン)元大統領が23日、ソウル市内の自宅で死去した。90歳。韓国紙によると、多発性骨髄腫などの持病があったという。80年5月の光州事件で民主化運動を弾圧する一方、88年のソウル五輪誘致に成功。84年9月には韓国大統領として初めて公式訪日した。 

 退任後、親族らの不正蓄財が表面化。粛軍クーデターや光州事件で武力弾圧を首謀したなどとして金泳三(キムヨンサム)政権下の95年12月に逮捕、起訴され、96年に一審で死刑判決を受けた。控訴審で無期懲役に減刑されて服役し、97年12月に特赦で釈放された。以降は表舞台から遠ざかっていた。

 慶尚南道陜川出身、陸軍士官学校卒。79年10月に朴正熙(パクチョンヒ)大統領が側近に暗殺された後、粛軍クーデターで軍の実権を掌握した。80年5月、戒厳令を強化して当時野党指導者の金大中(キムデジュン)元大統領らを逮捕。反発した南西部・光州市の市民の抗議活動を武力鎮圧した光州事件(死者・行方不明者200人以上)を経て同年9月に大統領に就いた。

 88年に退任するまで財閥主導型の経済成長を実現。当時のレーガン米大統領や中曽根康弘首相と良好な関係を築き、日米韓の安全保障協力を強化した。訪日時に昭和天皇と会見し、昭和天皇は「両国間に不幸な過去が存したことは誠に遺憾」と表明した。北朝鮮との関係では、訪問先のビルマ(現ミャンマー)で同行閣僚らが犠牲となった83年10月のラングーン(現ヤンゴン)爆弾テロ事件などで緊張が高まった。

 任期末期は、学生運動を取り締まる警察による大学生への拷問致死事件をきっかけに民主化要求運動が拡大。87年6月、後任大統領となる軍出身の盧泰愚(ノテウ)氏(先月26日死去)に大統領直接選挙へ向けた憲法改正などの民主化宣言をさせた。

 韓国社会では、光州事件当時の軍最高指導者だった全氏を評価する発言はタブー視されている。大統領府は23日、弔花を送らないと発表。今年10月、保守系最大野党の大統領候補が「(全氏は)軍事クーデターと5・18(光州事件)を除けば良い政治をしたと言う人が多い」と発言し、後に謝罪に追い込まれた。

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