挑んだ高コスト、高架化から60年 天神の巨大ターミナルビル誕生秘話

 「天神の過去と今をつなぐ」(15)福岡パルコとソラリアステージ(中編)

 福岡市・天神地区の歴史秘話を紹介する連載「天神の過去と今をつなぐ」の15回目は、福岡パルコとソラリアステージの中編です。さまざまな商業文化を持ち込んだ岩田屋と、戦後生まれた商店街との強い連携が街の活性化をもたらしました。福岡パルコに引き継がれた建物の存在感は変わりません。ちょうど60年前、西鉄福岡駅=現在の西鉄福岡(天神)駅=の高架化を機に、西日本随一のターミナルビルまで駆け上がっていく物語を、アーキビストの益田啓一郎さんがお伝えします。

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1952年秋、岩田屋の改築記念絵はがき(著者所蔵)

岩田屋の創造力

 1945(昭和20)年6月の福岡大空襲により、天神地区の大半が焼け野原となったが、岩田屋や西鉄福岡駅はかろうじて焼け残った。戦中戦後、岩田屋の頑丈な建物は日本軍や占領軍の接収対象にされて廃業の危機を迎えたが、ギリギリで接収を逃れてのれんをつないだのだ。

 終戦直後の物資欠乏の時代、岩田屋にも売るものがなかった。そこで長崎県の島原半島で紡績工場を始めた。福岡市地行町の海岸で製塩業に乗り出し、集めた海藻の煮汁から代用調味料を作り、それに塩を混ぜて代用しょうゆとして販売したこともある。

1947年、岩田屋の建物などを会場に開催された産業再建「石炭展覧会(石炭展)」時の様子(著者所蔵)

 統制経済が続き、終戦後2年が経過しても衣料品などの販売額はゼロ。苦難の時代だったが、百貨店開業前からの創意工夫の精神は健在だった。

 岩田屋百貨店は、1936(昭和11)年の開業当時から、福岡にさまざまな文化を持ち込んだ。その一つは、店舗1階に設置したショーウインドーのディスプレーである。催事ごとに装飾は変更され、街行く人々の目を楽しませた。今年76回目を迎えた「福岡県美術展覧会(県展)」も、始まりは岩田屋が企画した催事だったという。

 また、開店時から館内に設けられた喫茶室の運営に当たったのが、戦後に伝説の喫茶店「ばんぢろ」を開店する井野耕八郎だ。ばんぢろは、昭和天皇への珈琲献上をはじめとする数々の逸話を残す。1973(昭和48)年に刊行された井野の著書「珈琲と私」に、当時の福博の喫茶店事情や、岩田屋での開業について詳細に記されているが、珈琲文化の基礎は岩田屋で築かれた。

喫茶「ばんぢろ」の井野耕八郎さん=1979年(本紙データベースより)

 統制下だった1949(昭和24)年には、屋上に「プレイランド」も誕生。51(昭和26)年には屋上観覧車も設置され、56(昭和31)年の増床・改築に伴い、遊具も増加。岩田屋の屋上プレイランド(遊園地)は子どもたちの憧れの的「夢の国」となった。

 ちなみに、最後の観覧車は1981(昭和56)年8月に撤去されたが、そのまま西新岩田屋の屋上へ移設。1年後の82(昭和57)年8月、ゴンドラだけが福岡市動物園に設置された観覧車に流用されて現役である。

(左)1950年ごろ、屋上プレイランドが登場したころの岩田屋のフロア案内図(著者所蔵)。(右)1952年、岩田屋デパート屋上で人気を集める回転ボート(本紙データベースより)

 岩田屋には開業当初から食堂(レストラン)も設けられた。長谷川町子の漫画「別冊サザエさん」に収録されている、サザエさんとマスオさんのお見合いの舞台は、当時福岡市内で唯一のデパート食堂があった岩田屋だという説も、参考に記しておきたい。

都心連盟の誕生

 1948(昭和23)年8月、岩田屋を中心に、新天町▽西鉄街▽因幡町商店街▽天神市場-の商業5施設が都心連盟を結成した。発案は新天町の有志たちだ。

 「天神地区の復興、発展にはデパートと商店街が有機的に結びついた共存共栄が不可欠」という発想だったが、その中心には岩田屋と西鉄福岡駅の存在があった。

1956年ごろ、岩田屋の屋上観覧車から東側の眺望絵はがき(著者所蔵)

 この発想の根底に、戦災後の新興商店街ばかりの天神地区が持つ危機意識があった。老舗が集う博多や東中洲の商店街は、戦災で天神地区以上の壊滅的な被害を受けていたものの、終戦後2年を経過する頃には復興も進んだ。

 博多部の川端通り周辺では、1947(昭和22)年12月に下新川端や寿通りなど五つの商店街が合同して「博多五町商店街」を名乗り、共同の大売り出しを開催するなど、復興商店街を印象付けていた。

 博多五町商店街が天神地区と異なったのは、地元百貨店との関係だった。当時、中洲にあった福岡玉屋は政府払い下げの洋服を大量入手し、大安売りに打って出た。「専門店への圧迫」だと反発した博多五町商店街と玉屋の関係は悪化していたのである。

1956年秋、増床大改装された岩田屋。屋上プレイランドの中央に観覧車が見える。改装記念パンフレットより(著者所蔵)

 天神の都心連盟はのち「都心界」と名称変更され、活動を活発化。大売り出しの合同宣伝隊は、北部九州一円へ出掛け、「天神」「博多のど真ん中、都心界」をPRした。商業施設が増えた現在に至るまで活動は継続され、天神地区の一体感の演出に欠かせない存在となっている。

福岡駅の地下道

 1956(昭和31)年12月、都市計画に伴って天神町派出所が新天町から西鉄福岡駅構内に移設された。現在、ソラリアステージ1階の西鉄インフォメーションセンターの新天町側出口付近だ。

 地上駅だった時代、ここには派出所の前から渡辺通りへ抜ける地下道があった。駅構内の下をくぐる半地下の「ガード下」である。雨が降ると、すぐに水がたまって歩けなくなるような通路だったという。

1959年9月、天神町の夜景。左は岩田屋、右は建設中の天神ビル(本紙データベースより)

 地下道には街灯もなく、昼間は真っ暗だったが、夜になると地下道の両側に間口一間(約1.8メートル)ほどのおでん屋がズラリと並んで開店。酔客に人気を博したという。

 ここはいわば、天神地区の地下飲食街の始まりの場所だ。このガード下のおでん屋こそが、高架駅完成後の駅ビル地下の飲食店街「味のタウン」や高架下の「西鉄のれん街」が誕生するきっかけだった。

西鉄福岡駅の高架化

 西鉄福岡駅の高架化工事は、天神一帯の都市計画(福岡市戦災復興土地区画整理事業と都市計画街路事業)に沿って実行された。

 これは、渡辺通りの道路幅を18メートルから50メートルに拡幅し、西鉄福岡駅から薬院新川まで780メートルに及ぶ西鉄大牟田線の線路を西側へ移設。さらに平面交差する四つの踏切を撤去するという大規模なもので、高架化による電車の安全運行と交通渋滞の緩和を目的とした。

1961年3月、西鉄大牟田線福岡駅の高架工事(本紙データベースより)

 高架化工事は1960(昭和35)年3月に駅舎、ホーム、仮営業線の工事が始まり、同年9月1日から本工事に着工。総額13億8000万円を費やした大工事は、今から60年前の61年(昭和36)年11月1日に完成した。当時の高架新駅(現在のソラリアステージビル敷地)は、2階部分に最大6両編成が発着可能な5線5ホームに加え、北改札口は岩田屋と直結していた。

 鉄道駅の高架化は、それまでの人の流れを遮る可能性もあった。西鉄は当時主流であった盛土による高架化ではなく、あえてコスト高となるスラブ式の高架を選択した。階下に商業施設を入居させることで、回遊性と利便性向上に加え、採算確保を図ったのである。

西鉄名店街の誕生

 高架新駅1階には、西鉄の案内所などに加えて、専門店で構成された「西鉄名店街」が新たに開業。高架下を利用したショッピングセンターは、大手私鉄では草分け的な存在となり、全国から視察が相次いだという。

 西鉄名店街は、1階に衣料品や雑貨店など40店舗が入居し、地下1階は食料品店など40店舗で構成。地元の老舗だけでなく、東京などの名店も進出した。

 開業当日は午前9時半、西鉄ライオンズの稲尾和久投手によるテープカットが行われ、ブラスバンドの大演奏で開業を祝った。当日の西日本新聞夕刊には「福岡一の繁華街が突然誕生したようだった」とあるほど、大勢の人出でにぎわったという。

西鉄名店街のオープンの様子を伝える1961年11月1日付西日本新聞夕刊

 西鉄名店街の開設にあたっては、様々な課題があった。西鉄として初めての商業施設運営であったことに加えて、競争率が2.5倍に達したテナント選定も難航した。さらに、岩田屋も新駅ビルへの入居を希望していたのだ。

 交渉の結果、岩田屋は新駅ビルの地下1階、西鉄名店街の地下食料品フロアへ続く場所に、食料品売り場を拡張。全国の有名店を集めた「岩田屋のれん街」を新設した。

 高架新駅開業と同時に、駅南側の線路下(ソラリアターミナルビルの福岡三越付近)の地下には飲食、レストラン街「味のタウン」が、高架下の警固公園側には「西鉄のれん街」がそれぞれ開業した。

 さらに、1961年12月23日には駅南側の線路下に福岡バスセンターが開業。鉄道駅とバスターミナルの一体化は日本初だった。バスセンターは中長距離バス、急行バスの起点となり、岩田屋から味のタウンまでが地下で結ばれ、名実ともに西日本一のターミナル駅となったのである。

1961年開業当初の西鉄福岡パスセンターのパンフレット表紙(著者所蔵資料)

 天神を起点とした交通ネットワーク網の確立により、天神地区の集客力は一気に増し、商業集積も加速していった。

 その中心に岩田屋や西鉄福岡駅、西鉄名店街の存在があったことは言うまでもない。岩田屋と西鉄の“蜜月関係”は、後に福岡ビルに誕生するインテリアの「NIC(ニック)」に結実していく。

 そして、西鉄による西鉄名店街の経営ノウハウこそが、天神コアやソラリア計画(ソラリアプラザ・ソラリアステージの誕生)へとつながっていくのである。

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 益田啓一郎(ますだ・けいいちろう) 1966年大分県生まれ。ゼンリン子会社を経て2000年に独立後、社史・地域史の執筆、編集に携わりながら10万点超の古写真と絵はがきを収集してきた。近年では西日本鉄道(福岡市)創立110周年史の執筆、「にしてつWebミュージアム」を監修してきた。博多・冷泉地区まちづくり戦後史、博多祇園山笠「西流五十周年史」など、地域の近現代史の記録活動も継続。NHKのテレビ番組「ブラタモリ」や、地元テレビ局、映画、舞台などの時代考証や企画、監修も担ってきた。著書に「ふくおか絵葉書浪漫」「伝説の西鉄ライオンズ」など。

1968年ごろの岩田屋と西鉄福岡駅、西鉄名店街の外観(著者所蔵写真)

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 次世代の姿へ生まれ変わりつつある福岡市の中心部、天神地区。新たな都市空間と雇用を生み出す福岡市の「天神ビッグバン」プロジェクトがきっかけです。福岡をはじめ九州各地の「街」に関する膨大な資料を収集し、その近現代史を研究し続けているアーキビストの益田啓一郎さん(54)=福岡市=が、再開発エリアの過去と今をつなぐ歴史解説へ、皆さんをご案内します。 ※アーキビスト(Archivist)=文化、産業的な価値ある資料を集め、それらを意義付けしながら活用する人材。

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