難民として、医師として 助けを求めてくる患者の肩書は二の次

抗う タイ国境のミャンマー人たち ㊥

 朝9時。ミャンマーの伝統化粧品タナカを顔に塗った母子でごった返していた。ポリオ(小児まひ)ワクチン接種や妊婦向け診療を待つミャンマー人たちだ。

 タイ・メソト郊外にある「メータオ・クリニック」。タイの公式な医療機関ではない。メソトにいるミャンマー人の移民や、越境してくる人々を無料または格安で診療する非営利団体として、タイ当局から活動が許されている。

 創設者の医師シンシア・マウンさん(61)も、ミャンマーの少数民族カレン人。1988年9月の国軍クーデターの4日後、最大都市ヤンゴンを脱出し、タイ国境に近い少数民族地域に逃れた。民主化運動に医師として参加し、拘束される恐れがあったためだ。治安悪化を恐れ、さらに国境を越えてメソトに逃れた大量の少数民族難民がおり、その苦境を知って、翌89年に数人の仲間たちとメソトへ入って診療拠点を立ち上げた。

 患者は少数民族地域からも次々やって来た。国軍と少数民族勢力の衝突や国境地帯の地雷による被害のほか、エイズウイルス(HIV)などの感染症患者も増加。皮肉にも寄付が増えクリニックの規模は拡大したが、2011年の民政移管後も国境地帯の医療や生活水準は一向に改善しなかった。

 2月に再びクーデターが起き、各地の少数民族地域で国軍との衝突が激化。多くの住民がまた逃げ惑う状況となった。難民であり医師でもあるシンシアさんは「昔も今も、貧しい弱者を虐げるサイクルを繰り返している」と思う。

国境の向こうに多くの患者がいるのに

 クリニックのスタッフは351人で、ミャンマー人が大半を占める。4割近い計135人は7月以降新型コロナウイルスに感染し、一時全面閉鎖された。8~9月から診療を再開しつつあるが、まだ制約は多い。

 特に、新型コロナ対策とクーデターによる国境封鎖で、10万人程度いた年間受け入れ患者の約4割を占めるミャンマーからの越境患者がいなくなった。「国境の向こうに多くの患者がいるのに診療できず、悔しい」。外科部門のソー・エッタ・ムイさん(43)が顔をゆがめる。

 そんな中でも、危険を冒して国境を越えてくるミャンマー人はいる。がらんとした妊婦用ベッド約50床が並ぶ暗い部屋。その中に、産後4日目の赤ん坊を見つめる妻(28)と夫(32)がいた。太い腕をした夫は、メソトに近いミャンマー・カイン州の少数民族武装勢力に所属するカレン人兵士だと小声で答えた。ひそかに山と川を越えてクリニックに入り、出産に立ち会った。2週間後には国軍との衝突が頻発する部隊に戻るらしい。「民主派? 関係ない。わが子とわが民族のために闘うだけ。全く怖くない」とほほ笑んだ。

 同胞の命を救う大義を掲げるクリニックでは、患者たちの肩書は二の次。シンシアさんに言わせれば「助けを求めて来る人がどんな人かを知る必要はない」。そして「ここは政治的なレジスタンス(抵抗)の場ではない」。だがシンシアさんは、その言葉と矛盾するような決断をしていた。

 (タイ・メソトで川合秀紀)

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