君原vs重松、瀬古vs宗兄弟…福岡国際マラソン熱走譜 5日に最後の大会

 12月5日に福岡市の平和台陸上競技場発着で行われる福岡国際マラソンは、75回目でその歴史に幕を下ろす。1947年に熊本で始まり、51年に初開催した福岡に59年から定着(63年は翌年の東京五輪のプレ大会として東京で開催)。福博の街の師走の風物詩となった大会でライバルたちは熱い火花を散らしてきた。名勝負、名シーンを振り返る。 (向吉三郎)

 大会は「日本マラソンの父」と呼ばれる金栗四三の功績をたたえ、マラソンで五輪に出る選手を輩出するために金栗の故郷熊本で第1回を開催。1950年には金栗が盟友の岡部平太らと「オリンピックマラソンに優勝する会」をつくり、その機運をさらに高めた。

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 男子マラソンの五輪制覇は今も果たせていない日本の悲願だが、その夢に近づいた福岡県出身の2人の名ランナーが初めての42・195キロを刻んだのが62年大会だった。

 同学年の君原健二(当時21歳)と重松森雄(当時22歳)はレース中盤まで上位争いに食らいつき、終盤に差しかかった。「いくよ」。重松は君原がスパートの合図を送ったことを記憶している。「ついていくよ」。そう応えたが、「急に足が動かなくなったんです」。君原は当時の日本最高を上回る2時間18分1秒で3位。重松はそれに4分近く遅れて15位でゴール。明暗が分かれた。

 八幡製鉄入社4年目の君原は「思い出のために一度走ってみよう」と地元の福岡を初マラソンに選んだ。「思いがけない好成績が出て2年後の東京五輪出場の可能性が見えた」と自信を深めてマラソンに没頭。同五輪は8位。68年メキシコ五輪は銀メダルに輝いた。

 当時福岡大の学生だった重松は「後半のスタミナがない」と募らせた悔しさが原動力となった。山道などを6時間走る猛練習などで健脚を鍛え、65年に世界最高峰のマラソンとされたボストンを制覇。その53日後の英国ウィンザーで前年の東京五輪でエチオピアのアベベが出した記録を更新する2時間12分0秒の世界記録をたたき出した。

 66年のボストンは君原が優勝。「重松さんはいいライバル。励みになった」と振り返った。

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 79年、平和台陸上競技場のトラックまでもつれ込んだ瀬古利彦と宗兄弟の激闘は日本マラソン史に深く刻まれる名シーンとなった。旭化成の本拠地、宮崎県延岡市が雨でも、宗兄弟の兄、茂は「東京は晴れ。瀬古は練習している」と休まなかったというライバル関係。

 最終盤まで宗兄弟がリード。「いけ」。猛は茂に言われたという。「足に(疲れが)きていて、いけなかった」。レース中に2人で後ろを向くと瀬古が迫っていた。「『エー』って感じでね」。残り200メートルの瀬古のスパートを追い抜く力は残っていなかった。

 後ろを振り返った宗兄弟に「『疲れているんだな。しめた』と思い、元気になった。最後まで諦めてはいけない。その後のマラソン人生に、ものすごく生きた」という瀬古。その話を聞いたことのある猛は「後ろを振り返ったらいけないってことですよ」と笑った。

 3人ともに代表に選ばれたモスクワ五輪は日本がボイコット。同五輪を制したチェルピンスキー(東ドイツ)を招いた80年大会は瀬古が1位、猛が2位で伊藤国光が3位。茂の5位までチェルピンスキーに先着し、日本が最強であることを証明した。

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 隆盛を誇った日本男子は2000年の大会で藤田敦史が2時間6分51秒の日本記録を更新して以降、徐々に低迷期に入っていく。そんな中、一人の選手が話題をさらった。公務員ランナー、川内優輝。翌年のロンドン五輪代表の選考会となった11年大会は実業団のトップ選手と川内が火花を散らした。中間点を前に川内は先頭集団から脱落。30キロを過ぎてケニア人選手2人が先頭。3番手の日本人トップは九電工の前田和浩とトヨタ自動車九州の今井正人という地元福岡の実業団ランナーで争う形になった。

 マラソンとトラックの両方で世界選手権に出場した前田と元祖「山の神」として箱根駅伝を沸かせた今井。激しい競り合いを続ける中、沿道から「川内が(追い付いて)きている」という情報が入る。「強いけど、一緒に走れば負けないだろう」。川内をこう思っていたという前田は「いつ来るのかなと思ったけど、追い付かれたときはマジかって思いましたね」と苦笑いで振り返る。

 36キロ付近で川内が先行すると、抜きつ抜かれつのデッドヒートの末に川内が2時間9分57秒で日本人トップの3位、今井が4位、前田が6位。3人ともに五輪代表は逃したが、互いの気持ちがぶつかりあう激闘だった。

 前田は約3カ月後の東京で川内に先着。日本人同士の数々のつばぜり合いは再び国内のレベルを高めた。17年はマラソン2度目の大迫傑が2時間7分台を出し、後の日本記録更新につなげ、翌年には服部勇馬が日本人14年ぶりの優勝を果たすことになる。

 =敬称略

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