悲劇の伝承、コロナ禍乗り越え 「日米開戦80年、考えるきっかけに」

 戦時中、父子が交わした手紙や、帰還兵が集めた戦争遺品が、福岡県福津市・津屋崎千軒地区の2カ所の交流施設で展示されている。子孫の深田政武さん(68)、麻紀さん(40)親子=同市=が企画。今夏初めて開いた展示会は新型コロナ禍で中止となったが、太平洋戦争の開戦(1941年12月8日)から80年の節目に合わせて、再び開催に踏み切った。もう二度と、戦争による犠牲を出さないために。悲惨な思いをしないようにするために-。

 太平洋戦争の火ぶたが切られた真珠湾では日本軍が優位に戦いを進めたものの、物量で上回る連合国軍が勢力を強めた。国民の命や暮らしに深い爪痕を残した。

 戦地へ赴くことを余儀なくされた若者も、多くが犠牲になった。その一人、政武さんの伯父、文次さん。23歳で激戦地のガダルカナル島で戦死した。残された手紙が心のありようを映す。

 ≪父、母上の写真がもしあったらお送りください。朝夕の礼拝にするはずです≫。戦局の悪化とともに手紙は途絶えがちになり、42年10月に届いた便りが最後になった。

 それでも父は出し続けた。≪君幸いに健康に健康に。暇ができたらお便りを≫

 手紙を大切に保管してきたのは、政武さんの父で、文次さんの義弟の武次郎さん=2012年、91歳で死去。ニューギニア島から生還し、戦友を忘れまいと軍服や軍帽、飯ごうなどの遺品収集にも努めた。

      ◇

 戦後76年の今夏、政武さん、麻紀さん親子は初めて展示会を開いた。戦争を知らないため「継承」に乗り出せないでいたが、こうした品々に背中を押された。

 ところがコロナ禍ですぐに中止に。バトンを渡されたと感じていた麻紀さんは諦めず、太平洋戦争の開戦日に向けて準備を進めた。

 そもそも戦争が始まらなければ、家族が離れ離れになることはなかった。相手国や周辺の地域に犠牲を強いることも、もちろんなかった。麻紀さんは言う。「(終戦の)8月だけではなく、(開戦の)12月も戦争を考える契機にしてほしい」

 1日に始まった展示は、父子の手紙約50点を「津屋崎千軒民俗館 藍の家」(10日まで)で、戦争遺品約30点などを「市まちおこしセンター なごみ」(21日まで、14日休館)で紹介している。 (小林稔子)

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