「世界一決定戦」しのぎ削った福岡国際マラソン…宗茂さん「なくなるの寂しい」

 75年の歴史に幕を下ろした5日の福岡国際マラソンでは、壮絶なレースの中で九州ゆかりの選手たちが上位に食い込んだ。かつての名選手らは九州の選手を育てた大会がまた一つなくなる無念さを口にした。

 優勝したギザエは終盤に苦しそうな表情を浮かべてゴール直後に倒れ込んだ。高校時代は福岡第一高駅伝部の中山徹監督に連れられて大会を見学。昨年は4位だった。「最後のチャンスで優勝できた。ケニアから来て福岡の高校に通ってスズキで走る私が歴史に名を刻むことができる」と最後の王者の感慨に浸った。

 北九州市の黒崎播磨に所属する細谷は「がむしゃらに前にいくのが自分のスタイル」と2位でゴール後に倒れ込み担架で運ばれた。九電工(福岡市)の大塚祥平は、一度は先頭集団から引き離されながらも追い上げ、フィニッシュ直前に順位を上げて4位に入った。

 1968年メキシコ五輪銀メダルの君原健二さん(80)は62年の初マラソンが福岡だった。「九州の選手にとっては特別な大会。終了は時代の流れで仕方ないけど、続けてほしかった」と悔しがった。

 かつて九州の選手たちは「世界一決定戦」と呼ばれた福岡国際に厳しい状況でも名乗りを上げた。11月初旬の九州一周駅伝(2013年終了)に出場し10日で4レースを競った後、10日間ほど後に九州実業団毎日駅伝に出走。さらに約2週間で42・195キロに挑んだ。

 「それがあるからこそ九州が強かった」。07年に優勝して翌年の北京五輪金につなげたサムエル・ワンジルさん(故人)らを大会に送り出した、92年バルセロナ五輪銀メダリストでトヨタ自動車九州監督の森下広一さん(54)は言う。

 福岡陸上競技協会の前専務理事で40年以上にわたって裏方として携わった八木雅夫さん(71)は「けがやアクシデントなく、少しでもいい記録が出てほしい」と最後のレースを見ていたという。運営側も必死で大会を支えてきた。

 東京など大規模の市民マラソンに有力選手を奪われ、財政難もあって伝統に終止符が打たれる。70~80年代に日本陸連の瀬古副会長らとデッドヒートを繰り広げるなどして大会を盛り上げた宗茂さん(68)は「日本の文化であるマラソンや駅伝がなくなってしまうのは寂しい」と無念の思いを口にした。

(向吉三郎)

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