「平和台と福岡のマラソンは原点」ボストン日本人初V田中さん、福岡国際惜しむ

 5日の第75回大会で幕を閉じた福岡国際マラソン。発着点の福岡市の平和台陸上競技場で練習し、大会をきっかけに日本人で初めて世界の頂点に立った偉大なランナーがいる。1951年ボストン・マラソンの覇者、田中茂樹さん(90)=宇都宮市。最後の大会を自宅でテレビ観戦しながら感極まり、胸を詰まらせた。

 田中さんは、近代スポーツの礎を築いた岡部平太(1891~1966)=福岡県糸島市出身=が50年に「日本マラソンの父」と称される金栗四三(1891~1983)=熊本県和水町出身=に提案してつくった「オリンピックマラソンに優勝する会」の最初のメンバー。物資不足の時代に、広島出身の田中さんは米と毛布をリュックに詰めて参加した。第1回の練習会場は平和台陸上競技場と大濠公園。岡部と金栗の指導を受け、当時日本に浸透していなかったインターバル走で力を付けた。

 田中さんは50年に広島で行われた第4回朝日マラソン(福岡国際マラソンの前身)に初出場。高校生ながら10位に入り「自信になった」と翌年のボストン・マラソン優勝の足掛かりをつかんだという。

 福岡開催の第9回大会、名古屋での第10回大会にも出場した田中さんは現役を退いた後、金栗が設立した全国マラソン連盟会長を務めた。コロナ禍前まで毎年福岡国際マラソンを訪れ、平和台陸上競技場にある岡部の胸像に一礼し、陸上関係者らを招き「金栗さんを偲(しの)ぶ会」を開催していた。

 「平和台と福岡のマラソンは私の原点で宝物。大会がなくなるのは、とても残念。でも、これからも平和台で汗を流したランナーが世界へ羽ばたいてほしい」。テレビを見つめる田中さんの瞳に陸上競技場を駆け抜ける選手が映ると、一筋の涙が頬を伝っていった。

(田中耕)

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