「空白の7年」思い…岩屋元防衛相が永年25年表彰で叫んだ妻への感謝

東京ウオッチ

 「苦難のときも、いつも笑顔で支えてくれた家内に、この場をお借りして礼を言いたいと思います。本当にありがとう!」

 衆院本会議場の演壇に立ち、けれん味なく大音声を発したのは自民党の岩屋毅元防衛相(64)=大分3区選出。視線の先には、傍聴席の妻・知子さん(59)がいた。12月8日、永年在職25年表彰を受けたハレのあいさつでの一こまだ。演壇を下りる前、傍聴席に手を振った。

 岩屋氏は1990年、32歳の若さで衆院議員となった。初当選同期には、細田博之衆院議長、福田康夫元首相らそうそうたる顔ぶれが並び、細田氏をはじめ現職議員も16人いる。ただ、この日、永年在職25年表彰の演壇に立ったのは岩屋氏1人だけだった。なぜなら、2度の落選を経験し、国会議員として「空白の7年」があるからだ。

世話焼きの支援者から紹介

 医師で大分県議だった父親の背中を見て、岩屋氏は政治家を志した。早稲田大に在学中から鳩山邦夫元法相(故人)の事務所に出入りし、卒業後、そのまま私設秘書になった。28歳の時、父の後を継いで大分県議選に挑戦すべく故郷に帰った。

 「議員さんになるのに、嫁さんもおらんではいかんよ」。初の選挙準備に奔走する中、世話焼きの支援者が半ば無理やり紹介してきた女性が、知子さんだった。九州の大学の薬学部を卒業した薬剤師。「明るい人だな」が第一印象だった。出会ってすぐ、「私は政治家として生きていくつもりです」と告げた。母親を見てきたから重々分かっているが、政治家の伴侶は過酷だ。支援者に頭を下げ、選挙のたびに夫が落選する不安とも闘わないといけない。敬遠されるかと思ったが、知子さんは「立派な職業だと思います」と認めてくれた。うれしかった。県議選を前に婚約し、1987年の当選後に一家を構えた。

 2年半がたった県議1期目の途中、夢だった衆院選に打って出る決意をした。政治経験も支持基盤もまだ浅く、中選挙区時代で自民党の公認も取れず、無所属候補としての挑戦。あるのはリスクばかりだった。当然、家族から反対されると思った。報告すると、知子さんは「頑張ってね」とだけ言った。選挙戦のさなかに、闘病していた父親が逝った。岩屋氏は、勝ち抜いた。

 リクルート事件、金丸信・元自民党副総裁の脱税事件などが相次ぎ、世論の政治不信は高まり、選挙制度の抜本的見直しを筆頭とする政治改革に取り組まざるを得ないムードが、国会を覆っていた。岩屋氏もまた、「改革は日本のため」と信じた。若手の同僚議員と一緒に、夜中に議員宿舎の先輩議員宅をノックしたり、宮沢喜一首相の私邸に押し掛けて直談判をしたりした。自民党が改革に及び腰だと感じると、離党して新党さきがけに身を投じた。

「何が何でもはい上がるのだ」

 迎えた1993年の総選挙、岩屋氏は落選の憂き目を見た。

 直後に成立した非自民の細川護熙政権下で、現行の小選挙区比例並立制の導入を柱とした政治改革が実現。自身も心血を注いだ仕事が形を成したことをうれしく思う一方、その現場にいないわが身を激しく悔やんだ。けん重来を期して自民党に戻り、地元の政治活動に集中したが、96年の選挙も及ばなかった。連敗。支援者から「県議からやり直したらどうだ」と厳しい声が寄せられ始めた。会合に招かれる回数は、みるみる減っていった。

 浪人していた7年の間、生計の大半を知子さんの薬剤師の収入に頼った。ある夜。自宅に帰り着くと、幼い3人の子どもが川の字になって寝ていた。その隣で、仕事、家事、子育てに毎日向き合う知子さんが倒れるように眠り込んでいた。岩屋氏は思った。「妻に苦労ばかり掛けてしまっている」「一家の主として、このままでいいのか」。頭をもたげてきた。俺は、政治家を諦めるべきなのかもしれない-。

 思い詰めた顔を察したのか、後日、知子さんはさらっと笑顔をつくってみせた。「パパはお国のために働く人なんでしょ」。そのひと言にどれだけ励まされ、救われたか。「原点に戻ろう。何が何でもはい上がるのだ」と誓った。お祭りなどの地域イベントは細大漏らさず足を運ぶようにし、呼ばれていない会合にも勇気を奮って顔を突っ込んだ。

 2000年、国政復帰。当選直後に割られたくす玉から現れたのは「おめでとう」ではなく、「長い間ありがとう」の垂れ幕だった。それは支援者はむろんのこと、夫から妻に向けられた言葉でもあった。

しみじみと思った妻への感謝

 「浪人生活は私の心境を大きく変えました。32歳で初当選を果たし、初めて国会の門をくぐったとき、私は来るべきところにやって来たと思い上がっていました。しかし、7年の浪人生活を経て戻ってきた時には、自分のような未熟者がこんなところに出てきていいのだろうかと思うに至りました。9期目を数えた今も、自問自答を繰り返しております」(永年在職25年のあいさつより)

 外務副大臣、自民党国防部会長などを歴任し、ステップを一つ一つ上り、2018年10月に発足した第4次安倍改造内閣で防衛相として初入閣を果たす。長年、交流のある石破茂元幹事長は、「外交・安全保障分野に深い見識を持つ政治家」と岩屋氏を評する。「これから日本が今以上の岐路に立つとき、政治の中心にいてほしい人間だ」とも。

 永年在職25年のあいさつをすいこうする際、真っ先に語ろうと考えたのが知子さんへの感謝だった。「どんなときも明るく、愚痴一つ言ったことがない。今の私があるのは、家内の力が大きかったなとしみじみ思ったのです」。岩屋氏は、家族旅行を計画しているという。

(井崎圭)

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