「父は最後迄御前を護り通す」収監の免田さんへ家族らの手紙250通

 1948年に熊本県人吉市で一家4人が殺傷された「免田事件」で死刑が確定し、死刑囚として初めて再審無罪となった免田栄さん(2020年死去、享年95)が収監されていた間に、家族や支援者から送られた手紙約250通が新たに見つかった。再審請求審での証人尋問の様子や、無罪を信じる家族の思いがつづられている。関係者は「冤罪(えんざい)被害や再審制度を検証する上でも重要な資料」と話す。

 「なかなか親切に御調べ下さって感謝してよいと思います」「裁判所でも幾分事件に対して疑を抱えて居られる様子」 (原文ママ)

 第3次再審請求中の55年、弁護人は熊本地裁八代支部の西辻孝吉裁判長が事件に真摯(しんし)に向き合う様子を記した手紙を差し入れた。

 「警察官(事件の検挙当時貴下を取調べた人達)や被害者の子供等を証人として御取調になって居ります」

 免田さんのアリバイを確認するため、西辻裁判長が関係者を尋問した法廷の様子も記載されている。

 「古里の山にむかいて云う事なし」

 支部は56年に再審開始を認めたが、59年に福岡高裁が決定を取り消した。「取り消し」を伝えた弁護人からの手紙の封筒には、免田さん自ら無念さをにじませた句を書き込んでいた。

 「父は最後迄御前を護り通す決心 充分自覚している」

 獄中の息子の不安を和らげるように父栄策さんは力強い言葉を寄せた。母トメノさんが送った手紙には、家族の近況とともに健康を気遣う言葉も並んでいた。

 これらの手紙は、免田さんを支援した故潮谷総一郎さんの熊本市内の自宅で見つかった。義理の娘で元県知事の義子さん(82)が昨年6月ごろ、元新聞記者らでつくる「免田事件資料保存委員会」に届けた。

 委員会の高峰武さん(69)は「免田さんは先の見えない獄中で34年間を過ごした。再び冤罪を起こさないためにも多くの人に事件を知ってほしい」。3月にこれらの手紙を含む資料集を出版するという。

 (松本紗菜子)

 免田事件 1948年12月、熊本県人吉市で一家4人が殺傷され、当時23歳の免田栄さんが犯行を「自白」し強盗殺人などの容疑で逮捕された。熊本地裁八代支部での公判途中から無罪を主張したが、50年3月に死刑判決を受け、52年に最高裁で確定。第6次請求の79年に福岡高裁が再審開始を決定し、80年に最高裁で確定した。83年7月、熊本地裁八代支部は捜査段階の自白の信用性を否定するなどして再審無罪を言い渡した。

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