戦闘員、記者、息子失った母…ミャンマー「反国軍」女性たちの1年

 ミャンマー国軍がクーデターで全権を掌握して2月1日で丸1年。この間目立ったのは、さまざまな形で「反国軍」を訴える女性の存在だった。アウンサンスーチー氏という国を象徴する女性リーダーが拘束下にある中、無名の女性たちはどのように声を上げ、どんな日々を過ごしてきたのか。武装組織の構成員、活動家、ジャーナリスト、そして主婦にそれぞれの「1年」を聞いた。 (バンコク川合秀紀)

 1月半ば、オンライン取材に応じたのは、女性だけの武装組織「ミャウン・ウイメンズ・ウォリアーズ(MWW)」に所属する“戦闘員”の3人。安全確保のため深夜に設定した取材だったが、複数の場所をつないだ画面でも3人は自身の映像を見せなかった。

 全員がミャンマー北西部ザガイン管区ミャウン郡区在住。昨年10月に発足したMWWのメンバーは18~35歳の300人超に上る。農家や教師、学生などさまざまで、大半が20代という。

同組織の訓練の様子=同組織提供(画像の一部を加工しています)
武器使い作戦

 3人のうちの1人は農家の親を手伝っていたアマラさん(29)=仮名。「軍が毎日のように村にやってきて家を壊したり物を取ったりして怖かった。自分たちを守り、民主主義を守るためと言い聞かせて参加を決めた」。3人とも実家とは違う別々の場所にかくまわれながら日々訓練を行い、時には武器を使った作戦も実行する。

 縫製工場に勤めていたダイアナさん(21)=仮名=は国軍系通信会社の通信塔を爆弾で破壊する作戦に参加した、と明かした。「私は時限式爆弾を近くに埋める役割。会社の利益が軍に流れ、国民を殺す武器に使われるのを防ぎたかった」。地元警察の二つの関連施設にも火を付けた。

 「国民は当初、平和的なデモを続けていたのに軍が武器で攻撃してきた。だから立ち上がった」。イカリさん(24)=仮名=は大学卒業後、親が営む喫茶店を手伝いながら小学校などの教師になることを目指していたが「今は夢がかなうのは難しいと思っている」。

 3人は「男性と同じように女性も武器を取り、抵抗することができると示したい」と口をそろえた。武器を使うことに抵抗感はないか尋ねると「正しいことをしていると自分を誇りに思う」。アマラさんの言葉には悲壮感も漂う。

潜伏先で食事を取る同組織の女性たち=昨年12月、同組織提供(画像の一部を加工しています)
続く潜伏生活

 最大都市ヤンゴンに本拠がある独立系メディアの記者スミャッさん(37)は今、タイ国境に近い東部の少数民族地域カイン州レーケーコーに潜む。

 昨年4月時点では、他の記者たちが当局の弾圧から逃れようとカイン州へ移る中、ヤンゴンに残った。自宅で仕事を続け、仲間たちに食料や資金を送っていたが、当局がオフィス捜索に入ったためカイン州に逃れた。潜伏先でも取材や執筆を続けている。

 ミャンマーでは2011年の民政移管後、報道の自由が認められ、会員制交流サイト(SNS)も発達。報道分野で働く女性が増えた。「女性は男性に従うべきだという文化が根強く、当初は私も危険な現場には行かせてもらえなかったが、近年やっと変わりつつあった」

 カイン州は長年、国軍と衝突を続ける少数民族武装勢力が強く、若者や民主派、自分のような記者が多く潜伏する。レーケーコーでは昨年12月以降、国軍の空爆が激化。多くの住民が逃げ惑い、危険と隣り合わせの取材が続く。

 国軍はメディアも標的にしており、空爆は記者がいるせいだと思うと罪悪感を覚える。それでも「少数民族の人たちの苦しみや思い、事実を伝える責任がある」と決意は揺るがない。

 人権活動家ティンザーシュンレイイーさん(30)も潜伏生活が続く。スーチー政権下でも表現の自由や女性の人権改善を訴えて政府批判を展開し、当時から性的な脅しや嫌がらせを男性から受け続けてきた。

 「クーデター後、国軍などの性的暴力がさらに増え、女性蔑視の状況は悪化している。だからこそ今回の闘争では、さまざまな立場の女性たちが『反国軍』だけでなく、長年根付く男性支配の社会を変えるために闘い続けている」

弾圧で息子(右)を失った母親キンエイエイカインさん=キンエイエイカインさんのSNSから(画像の一部を加工しています)
街で弁当販売

 ヤンゴンに住む主婦キンエイエイカインさん(42)は昨年3月15日、パリパリの皮が自慢の唐揚げを作り、デモに出掛けた大学生の息子カンアウンピョーさんの帰宅を待っていた。だが、息子はそのまま戻ってこなかった。当局の弾圧で死亡したことを告げられた。18歳だった。

 十数年前、夫と死別。生活費や教育費をためるため単身、海外に出稼ぎに出た。帰国したのは数年前のことだ。「私が代わりに死ねばよかった」「私のような母親が他にどれだけいるのか」。SNSに悲しみの言葉を息子の写真とともに連日投稿し続けた。寂しさやつらさは消えない。それでも「涙を止めるため」と毎朝4時に起きて弁当を作り、街で売り始めた。

 息子が大好物だった唐揚げは「彼がみんなに忘れられないように」息子という意味の「ターターレ」と名付けた。キンエイエイカインさんは「あの日、息子が食べることができなかった唐揚げを、息子と同じ若い人たちに安く食べてもらいたい」と語る。

 売り上げの一部は「革命(反国軍運動の意味)で亡くなった人たちのため」に病院などへ寄付している。取材を仲介した20代のミャンマー人男性記者にも「あなたの家族が私のように愛する人と離れないよう願っている」と思いやった。

    ×     ×

 人権団体によると、当局の弾圧による犠牲者1500人近くのうち女性は100人前後。拘束された1万人超のうち女性は2千人以上に上る。

関連記事

PR

PR