平和の芽育て~ハワイの被爆2世〈下〉 【奔走】折り鶴は真珠湾に舞い

西日本新聞

 真っ青な海だった。

 米ハワイ州ホノルルの真珠湾には1941年12月、旧日本軍の奇襲攻撃で撃沈された戦艦アリゾナが、回収されぬままの千人以上の兵士の遺骨とともに、今も海中に眠っている。

 4月下旬、アリゾナ記念館のビジターセンターを訪れた時、ガイド役の米退役軍人、ハーブ・ウェザーワックスさん(96)は気さくに取材に応じてくれた。真珠湾攻撃の生存者である。

 全米を中心に年間数百万人が訪問。日本への怨念が積もるこの地の同センターで昨秋から「サダコの折り鶴」が展示されている。広島市の平和記念公園にある「原爆の子の像」のモデルで、白血病により12歳で亡くなった佐々木禎子さんがキャラメルの包み紙で折った小さな、小さな鶴だ。

 ウェザーワックスさんによると、なお反日感情を抱く生存者もいるという。しかし70年以上がたち日米は友好関係を築き上げた。「私は許せる」。鶴の展示を心から歓迎してくれていた。

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 展示は原爆投下を命じた米トルーマン大統領(当時)の孫が、禎子さんの遺族の希望を受け止め、記念館側に働きかけた結果だった。鶴の大きさは約1センチ四方。展示には特殊なケースや解説板の設置費として約7万ドル(約700万円)の資金集めが必要だった。

 ハワイでは多くの小学校が、児童文学作家、故エレノア・コアさんの「サダコと千羽鶴」を副読本に採用。プナホウ学園の生徒にもなじみ深い。日本語教師、ピーターソンひろみさん(65)と高校2年生約100人もサダコ・プロジェクトを立ち上げ奔走した。

 ダリエン・ラウさん(18)もその一人。反日感情で募金を断られたことはなかったが、「なぜ紙の鶴に」という視線を痛いほど感じた。「原爆が人間に何をもたらしたのかを知らない米国人が多い。それを伝える力をサダコの鶴は持っている」。そんな思いが折れそうになる彼の心を支えた。

 生徒たちは約6千ドルを集めた。日系人団体なども動き、展示は実現した。

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 学園の教師、エリック・クスノキさん(65)は2002年8月、親族の故郷・広島で「原爆の子の像」を訪れた時のことが忘れられない。ささげられた幾千もの折り鶴。涙が止まらなかった。

 クスノキさんは「核なき世界」を訴えるオバマ米大統領が学園の生徒だった当時、担任だった。ひろみさんたちの取り組みについて「学園の生徒と先生が、世界平和の一助を担っていることを私もうれしく思う」

 生徒たちは3月から月1回、ビジターセンターで来場者にサダコの物語や鶴の折り方を教えている。

 長い間、相いれなかった「リメンバー・パールハーバー」と「ノーモア・ヒロシマ、ナガサキ」。日米の距離を少しでも縮めようと今、サダコの折り鶴は真珠湾に舞う。

 「戦争を忘れてはならない。でもうらみを残さず、その先の平和をともに祈ることが大切だ。それがこの鶴のメッセージだと思う」。ひろみさんはこれからも生徒たちと発信し続ける。

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 サダコの折り鶴 佐々木禎子さんは2歳のとき広島で被爆、小学6年生で白血病を発病。「生きたい」と願い千羽鶴を折り続けたが約8カ月後に亡くなった。折り鶴は米国ニューヨークにある米中枢同時テロの犠牲者追悼施設などにも寄贈されている。

=2014/05/22日付 西日本新聞朝刊=

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