ちゃんぽんのルーツ、中国・福建省で出会った驚きの「チャンポン」

 「長崎ちゃんぽんのルーツの地とされる中国南部の福建省に同じような料理はないの?」。西日本新聞の海外特派員が読者の「知りたい」にこたえる「あなたの特派員」に、こんな調査依頼が寄せられた。北京特派員として中国へ赴任して1年半余り、新型コロナウイルス禍で一時帰国ができないまま。ちゃんぽんが無性に食べたくなった。あの味を求めて、現地へ向かった。


ちゃんぽんに似ているが…


 1892(明治25)年、19歳の若者、陳平順(ちんへいじゅん)さんが福建省から長崎に渡った。やがて日清戦争が勃発。華僑への風当たりが強まる中、陳さんは反物の行商で資金を蓄え、7年後の1899年に中華料理店兼旅館の「四海楼(しかいろう)」を創業する。

 苦労人で世話好きの陳さんは数多くの中国人留学生の身元引受人になったが、彼らのひどい食生活を見かねて思案。故郷の豚肉入り麺料理「湯肉絲麺(とんにいしいめん)」をイメージしつつ、中華料理の基本の鶏がらスープに豚骨を加え、長崎近海で取れる小エビやカキなどの魚介類と野菜をふんだんに使った「支那饂飩(しなうどん)」を生み出した。

 安くて栄養もボリュームも満点。陳さんの思いやりが詰まったこの料理こそが「ちゃんぽん」のルーツといわれる-。20年余り前、初任地・長崎にある四海楼で、ちゃんぽんの歴史を取材したことがあった。

 ちゃんぽんの語源は諸説ある。当時は「ご飯を食べる」という意味の福建語「吃飯(シャポン)」が有力と聞いた。さまざまな物を混ぜるという意味の「攙(チャン)」と、食材を油で炒めて調味料を入れてさっと煮る調理法を意味する「烹(ポン)」を組み合わせた言葉との説もある。

 陳さんの故郷、福州は福建省の省都だ。北京から南へ約2千キロ。那覇市とほぼ同じ緯度にある。

 福州市内の老舗福建料理店で本場の湯肉絲麺を食べてみたいと思ったが、メニューにない。今では食べられていないのかもしれない。スマートフォンでちゃんぽんの画像を見せ「これに似た料理を」と頼んでみた。

 すると、鶏がらベースの白濁したスープに平たい麺とイカ、貝、エビ、豚肉、チンゲンサイの具材がどっさり入った料理が出てきた。「海鮮煮麺(ハイシェンジュミェン)です」と店員さん。見かけはちゃんぽんに似ているが麺の形やスープの味は違う。でもこれはこれで美味だ。ちゃんぽんの「いとこ」と感じた。


つぶやいた「チャンポン」


 その後も、いくつかの料理店を回った。取材を続けるうち、驚きの出来事があった。記者が日本語で発した「ちゃんぽん」という言葉に現地で知り合った男性(58)が反応して「チャンポン」とつぶやいたのだ。そして「寄せ集めや、ごった煮を意味する『雑烩(ザーフイ)』を、福州の方言ではこう発音します」と教えてくれた。

 福州の中心部から50キロほどの福清には「海鮮燜麺(メンミェン)」という郷土料理があった。いわば海鮮煮込みそば。鍋で具を炒めてからスープと麺を加えて煮る調理法は、ちゃんぽんにも通じる。

 お店で出された海鮮燜麺を見て「ちゃんぽんだ!」と声を上げてしまった。スープは塩味で、具だくさんの海鮮からにじむ滋味はあるもののコクと深みはない。麺も軟らかい。それでも、ちゃんぽんの「きょうだい」と言える料理だった。

調理法も見た目もちゃんぽんによく似た福建省福州市の福清料理「海鮮燜麺」

 長崎で手に入る食材を生かして福州の味をアレンジし、鶏がらと豚骨をブレンドしただしや、コシと風味のある太麺を使った陳さんならではの創意工夫を、歯と舌と喉で実感した。日本に留学経験のある福州市出身の女性(39)は「ちゃんぽんと全く同じ料理は福州にはないけれど、ちゃんぽんは福州人の口によく合います」と話した。

 古くから対外貿易の中心地として発展した福州は「華僑のふるさと」として知られる。中でも福清には、かつて住民の3割が日本に移住した地域もあるという。陳さんのように、この地から多くの人々が海を渡り、日本や東南アジアの食文化に影響を与えた。熊本名物の太平燕(タイピーエン)も、福州出身趙慶餘(ちょうけいよ)さんが同じ名前の福州料理をアレンジしたものが元祖とされる。

 今秋で国交正常化50周年を迎える日中の往来は2千年間に及ぶ。時を経て、福州の味が九州の味に溶け込んでいたことにロマンを感じながら、海鮮燜麺のスープを飲み干した。


1世紀を経て「逆輸入」


 麺料理の逆輸入と言うべきか。中国では今、熊本の「味千ラーメン」や福岡の「一蘭」「一風堂」「博多一幸舎」など九州生まれの豚骨ラーメンの人気が都市部を中心に広がっている。そんな中、経済の中心地・上海ではちゃんぽんに注目が集まりつつある。

 火付け役は、長崎県諫早市出身の勝山亮さん(52)。ちゃんぽんの生みの親、陳さんが中国から長崎に渡って約1世紀後の1988年、18歳で長崎から中国にやってきた。

 県立諫早農業高時代、バンド活動に熱中し、上京して音楽の道を志すつもりだったが、中国貿易に携わる父親の勧めで「高校卒業後、半強制的に北京の大学に留学させられた」。91年、父が経営する貿易会社代表として上海に赴任した。

 当時、上海に日本の居酒屋は1軒だけ。「チャンスかもしれない」と考えて94年に居酒屋「勝」を開店した。高校時代にアルバイト先で調理法を学んだちゃんぽんや皿うどんを出すと看板メニューとなり、大繁盛。現在は故郷の諫早やベトナム、アゼルバイジャンなどを含め中国内外に13店舗を展開し、福州や厦門(アモイ)にもフランチャイズ店がある。勝山さんは「中国の魅力に気付かせてくれた父に今では感謝している」と語る。

麺や具材など長崎の味にこだわり、上海で人気を広げてきた居酒屋「勝」のちゃんぽんと、勝山亮さん=中国・上海市

 麺は工場での特注や自家製にこだわり、日本のちゃんぽんを忠実に再現。お店でいただくと、まさにちゃんぽんの味だった。当初は日本人の駐在員たちに受けていたが、近年は中国人のファンが急増している。その理由を勝山さんは「中国の人々には『ラーメンは途中で食べ飽きる』という人が少なくない。その点、ちゃんぽんは具だくさん。健康志向が高まり、野菜がたくさん取れることも人気」とみる。現在では、中国各地に日本風の居酒屋が増え、ちゃんぽんを出す店も増えている。

 勝山さんは、昨年4月に開業した大型商業施設「三井ショッピングパーク ららぽーと上海金橋」に「九州長崎物語・勝」と名付けた店舗を出店。今年3月下旬、新型コロナ禍で上海が事実上のロックダウン(都市封鎖)に入るまで月700杯近くのちゃんぽんを売り上げる人気ぶりだった。

 利用客の多くが中国人。故郷への恩返しの思いを込め、店内では九州観光もPRしてきた。勝山さんは「ちゃんぽんという料理の偉大さを感じています」と力を込めた。

 中国と九州を結ぶちゃんぽん。昨年10月、福建省政府の招きで国際交流の地元テレビ番組に出演した長崎県上海事務所の黒川恵司郎所長は、あいさつをこう結んだ。「(日中の)お互いの友情もちゃんぽん麺のように長く強い絆で結ばれ、今後も引き継がれていくと信じています」

 (中国福建省福州市、上海市で坂本信博)

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