「静かな沖縄返して」27年前、平和運動の〝象徴〟だった少女はいま

 「静かな沖縄を返してください。平和な島を返してください」。1995年、米兵による少女暴行事件に抗議する県民総決起大会で、当時18歳、普天間高3年生だった仲村清子(すがこ)さん(44)=宜野湾市=は等身大の思いを訴えた。あれから27年。当時思い描いた姿には程遠い。15日に迎える本土復帰50年を「沖縄の声にきちんと耳を傾けるきっかけにしてほしい」と話す。

 事件は、基地が当たり前にあった若者世代にとっても衝撃だった。普段は米軍を話題にしない友人が憤り、沖縄に怒りが渦巻いた。

 演劇部で戦後50年をテーマにした劇の準備をしていた仲村さんは、顧問の教員に大会でのスピーチを頼まれた。「何人かに断られ、私に回ってきたんです」

 基地縮小よりも日米地位協定の改定を求めたかった。復帰前、事件事故を起こした米兵が正当な裁きを受けず、沖縄の人権が蹂躙(じゅうりん)されたことは知っていた。暴行事件で、復帰20年以上がたっても、何も変わっていないことに気付かされた。

 原稿は同級生や教員の意見を聞きながら何度も書き直した。「私1人じゃなく、沖縄の全高校生の思いとして伝えたかった」。10月21日の大会当日、8万5千人が会場を埋め尽くした。

 「基地があるが故の苦悩から早く私たちを解放してください。今の沖縄は誰のものでもなく、沖縄の人々のものなのです」。静まり返る会場で多くの人がうなずき、すすり泣いた。

 その後の展開は期待したものとは違った。96年に米軍普天間飛行場(同市)の返還が決まったものの、県内移設との条件が付く。地位協定は運用改善にとどまった。

 平和運動の“象徴”は重荷にもなった。進学した琉球大でも街を歩いても「あの仲村さん?」「頑張って」と声をかけられた。「みんなの問題なのに、なぜ私ばかりが頑張らなきゃいけないの」。重圧につぶされて大学は中退した。

 小学1年生から続ける琉球舞踊がきっかけで俳優になり、20代半ばで上京する。「あの仲村さん」としてではなく、評価されることがうれしかった。一方で、東京で暮らして「沖縄が直面する不条理は、人ごとなんだ」と痛感した。

 俳優としての限界が見え、3年ほどで地元に戻る。28歳で結婚し、小学生の男の子を育てている。

 再び、象徴にされることへの不安はある。取材を受けたのは、本土の人に地位協定は日本全体の問題だと考えてほしいから。「1人が頑張っても変わらないけど、みんなが動けば変わる。私が話すことで一歩を踏み出すきっかけになるなら、それは私の役目かもしれない」

 (高田佳典)

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