沖縄復帰50年 「祖国」は期待に応えたか

 「私は一心に時計に見いり、『あと一分』『あと十秒』と数えた。時計の針が十五日午前零時を示した。その瞬間、新生沖縄県が誕生した。ついに復帰が実現したのだ」

 沖縄の本土復帰運動をリードしてきた屋良朝苗(やらちょうびょう)琉球政府行政主席(復帰後の沖縄県知事)は回顧録で、その時の感激をこう語っている。

 1945年の地上戦で米軍に占領された沖縄は、日本が主権を回復した後も本土から切り離され、米軍の統治が続いた。それでも「祖国復帰」を掲げた住民たちの熱烈な運動と日本政府の対米交渉が実り、1972年5月15日に日本の施政権下に復帰した。きょうはそれからちょうど50年となる。

 復帰に際して沖縄の住民が日本政府に何を期待したか。それをまとめたのが屋良氏が当時作成した「復帰措置に関する建議書」だ。132ページに及び、これからの沖縄開発のあり方、福祉、教育、財政措置などを網羅した。その冒頭部分に屋良氏はこう書いた。

 「従来通りの基地の島としてではなく、基地のない平和の島としての復帰を強く望んでおります」

 この上もなく悲惨な沖縄戦、「銃剣とブルドーザー」で行われた土地の強制接収、米軍兵士による度重なる事件事故-苦難の歴史を踏まえた切実な願いだった。

■建議書の願いはどこへ

 復帰から半世紀。沖縄には国内の米軍専用施設の約70%が集中している。政府は県民投票で示された「埋め立て反対」の世論を無視し、米軍普天間飛行場の名護市辺野古への移設工事を進める。

 かつて屋良氏の側近として建議書作成に関わった平良亀之助さん(85)=那覇市=は「建議書の柱は『基地のない平和の島』。しかし沖縄の基地負担は建議書作成の頃と変わらないどころか、辺野古新基地建設やオスプレイ常駐など、むしろ増すばかりだ」と憤る。

 共同通信が3~4月に沖縄県民を対象に行った世論調査では「復帰して良かったと思うか」の問いに94%が「良かった」と答えた。一方で「復帰後の沖縄県の歩みに満足か」の質問には「満足していない」が55%。その理由は「米軍基地の整理縮小が進んでいない」が40%で最多回答となった。

 経済の発展が期待ほど進んでいないことに対する失望も大きい。1人当たりの県民所得はほぼ毎年全国最下位で、子どもの貧困も深刻だ。非正規雇用の多さが女性や子どもの暮らしに影を落とす。

 沖縄県は今回、復帰50年に即した新たな建議書を作成した。「自立型経済の構築」「米軍基地の整理縮小」など、基本線が復帰前の建議書と変わっていないところに現状の厳しさがうかがえる。

■「平和の島」の理想遠く

 ロシアのウクライナ侵攻が勃発し、国際法を無視した暴挙が世界を揺るがす。中国が台湾の武力統一に踏み出す可能性が指摘され、東アジアも不安定化している。

 日本政府は沖縄や南西諸島の防衛拠点としての重要性を強調し、米軍基地や自衛隊の機能強化に乗り出す。ただウクライナでも明らかになったように、戦時に最初に攻撃されるのは軍事拠点だ。沖縄戦を経験した県民の不安は強い。

 これまで本土の住民は沖縄への基地集中を黙認してきた。どこか「人ごと」と見ていたのではないか。だが東アジアで危機が現実化すれば、軍事施設の集中は「負担の押しつけ」どころではなく「戦場の押しつけ」になりかねない。

 時計の秒針を見ながら復帰の瞬間を待った沖縄の人々。本土はこの50年間、「祖国」として、その期待に応えただろうか。私たちも本土の住民として自問したい。

 東アジアの安定に必要な抑止力と、沖縄の基地負担軽減を両立させるためには、抑止に伴う備えや負担を日本社会全体で引き受けることが不可欠だ。九州もその論議に加わることができる。危機を回避する外交も必須である。まずは沖縄県民が強く望む日米地位協定の改定から取りかかるべきだ。

 沖縄を「平和の島」の理想に近づけるにはどのような努力が必要か。「自分ごと」として考えたい。

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