コロナ最前線578日、回顧録に書いた「苦い思い」 西村前担当相が出版

 【東京ウオッチ】新型コロナウイルス感染症禍で3年ぶりに行動制限のない大型連休を迎えた、5月。昨夏まで毎日のように国民の前に露出し、その表情や声色、一言一句まで注目されていた政治家が、一冊の本を梓(じょうし)した。前経済再生担当相で、コロナ担当相を兼務した自民党の西村康稔氏。「コロナとの死闘」(幻冬舎、税込み1430円)は、2020年3月6日から21年10月4日までの578日間、担当相として未曽有のパンデミック(世界的大流行)に峙(たいじ)した軌跡を一人称で振り返った回顧録だ。決して順風満帆とはいかなかった、そのかじ取り。ページを手繰ると、西村氏を当時取材していた私の脳裏にも、一つ一つの場面の映像が鮮やかに浮かび上がってきた。

 《三月二十七日、安倍(晋三)総理と電話で話をしました。『総理、緊急事態宣言を出すべきです』と申し上げ、安倍総理も『政府内には慎重な意見もあるが、緊急事態宣言の発出を考えないといけない』と認識を共有しました-》

 2020年春、肺炎により呼吸困難となる患者が首都圏で急増し、医療機関のベッドがみるみる埋まって混乱に陥り、初めての緊急事態宣言発出が現実味を帯びた。3月末にはタレントの志村けんさんが急逝。ネット上などでは、「4月1日に政府が宣言を発出する」との臆測も飛び交った。西村氏が親しい記者に漏らした-との注釈付きで。

 この頃、首相官邸記者クラブ所属だった私は、語気を強めて記者会見に臨む西村氏の姿を覚えている。「(4月1日説は)風説の流布として、裁判を起こすことも辞さない」と。一方で、この“デマ”には前例のない宣言発出に備え、国民の心に準備と覚悟を促す、織り込ませる狙いから意図的に流された、との見立てが早くから存在した。西村氏の著書の通り、3月27日の段階で、宣言の必要性に関して安倍氏との間で認識が「共有」されていたのならば、見立てはあながち外れだったわけでもないのでは…。今、そんな感想を抱く。

 4月7日。福岡県など7都府県を対象に発出された初めての宣言は、同16日には全国に拡大した。

波紋広げた歓楽街狙い撃ち

 札幌・すすきの、東京・歌舞伎町、名古屋・栄、大阪・ミナミ、福岡・中洲などでも重点検査を行い、営業時間の短縮と合わせてかなり感染を抑えることができました-

 20年夏のコロナ「第2波」は、春の「第1波」のウイルスが残っていた東京・歌舞伎町を火種として全国に広がったとみられ、地方拠点都市の歓楽街もその“中継地”となってしまった可能性が指摘された。

 政府は5都市を対象に、感染動向を集中的に分析。その結果、福岡市の中洲で新規感染者が発生すると九州全県に感染が波及していってしまうこと、飲食店などの時短要請に伴って街中の人出が減ることで感染も下火に向かうこと、が確認された。厚いベールに覆われていた未知のウイルスの正体が少し、見え始めたのだ。

 10月の記者会見で西村氏は胸を張り、これらの研究成果を「めりはりの利いた効果的な感染防止策になる」と誇った。連日のように、西村氏の説明を聞いていた私にも正直、一定の説得力があるように感じられた。ターゲットは、飲食店-。感染対策の方向性がようやく定められつつあった。だが、歓楽街を狙い撃ちにするかのような対応はその後、次々と波紋を広げていくことになる。

白熱した4都県知事との面談

 東京都、埼玉県、千葉県、神奈川県の知事が共同で、国への緊急事態宣言の発出の要望書を出し、私が面談したのが、二〇二一年の一月二日でした。面談は白熱し、三時間半に及びました-

 21年の松の内も明けやらぬうち、内閣府の庁舎は報道陣であふれかえった。2日、小池百合子東京都知事をはじめ4都県のトップと向き合った西村氏は「都や県で、できることをやるのが先だ」と主張し、午後8時までの営業時間短縮要請を出すよう求めた。一方の知事側。現場では、午後10時までの時短要請にも従わない事業者が少なくないため、一気に宣言発出にジャンプして対策の強度を上げるべきだ、との立場を譲らなかった。この年末年始、新規感染者の数は今までにない急激な伸びを記録。知事たちの異例の訪問は事態の切迫度を物語っていた。

 面会後。西村氏と4知事は並んでマイクの前に立ち、「午後8時以降の不要不急の外出自粛要請」などの合意事項を公表したものの、協議の行方を長時間、見守っていた報道陣の反応は冷ややかだった。「それだけで本当に感染状況は落ち着くのか」「お願いベースの要請に、皆が従ってくれるのだろうか」…。質疑を重ねても、疑問は尽きなかった。

 国と地方の埋めがたい隔たりは、誰の目にも明らかだった。結局、知事たちに押し切られる形で政府は1月7日、4都県に2回目の緊急事態宣言を発出した。ちょうど、世論の反発が収まらず、20年末になってようやく一時停止を決めた観光支援事業「Go To トラベル」を巡る迷走が、政府の「後手」ぶりを強く印象付けていた時期だ。安倍氏の後を継ぎ、宰相の座に就いていた菅義偉前首相と西村氏との確執も取り沙汰されるようになっていく。

官邸で起きた「前代未聞」の事態

 菅総理は顔色を変えることもなく『専門家がそこまで言うなら』と理解されました。(政府の基本的対処方針)分科会の途中で政府として諮問案を取り下げ、緊急事態宣言を出すことで新たに諮問をしなおす形となったのです-

 21年5月14日、「前代未聞」(西村氏)の事態が起きる。朝、西村氏は政府を代表して、まん延防止等重点措置のみの追加適用案を分科会に諮問した。しかし、専門家の間に容認ムードはなく、会場は重苦しい雰囲気に包まれた。定例閣議のため途中退席した西村氏は、菅氏に向かい合うと「専門家は、納得しそうにありません」。ストレートに告げた。

 今回の著書で西村氏は、菅氏を交えた前日13日夕の関係閣僚会合で、北海道、岡山県、広島県に宣言を出すべきだと主張していたことを明かしている。14日朝の諮問直前には、自身の秘書官に「専門家から異論が出たときに政府案を変更したら、どうなると思う?」と問いかけ、頭の体操をしていたことも。

 そして結果は、その通りの展開をたどった。

 本来、分科会が政府素案に対し、各分野のプロフェッショナルの視点から精緻な検討を加え、その是非に何らかの答えを出す諮問機関である以上、政府がその意見を踏まえて方針転換したとしても、それはあるべき姿だとも言えよう。ただ、安倍、菅両政権が築き上げてきたトップダウンの「官邸主導」体制下で、政府案が撤回に追い込まれたのは寡聞にして知らない異常事態だった。とりわけ、第2次安倍政権発足以降、官邸の意向に唯々諾々と従ってきた霞が関に走った衝撃は大きかった。

 先を見るのに機敏な役人たちの情報収集力は侮れない。「この(菅)政権は長くなさそうだ」-。前後の取材メモには、ある中堅官僚の言葉が残る。

「らしくない抜かり」で猛批判

 新型コロナウイルス感染症、国際的な正式名「COVID19」(コビッド・ナインティーン)。異論を容認せず力でねじ伏せ、「1強」と呼ばれ死角がないように映った安倍、菅両政権の深部に、それはとげのように突き刺さり、確実に体力を奪っていった。

 最前線に立って奔走した西村氏も任期の終盤、疲れからか焦りからか、らしくない抜かりを演じた。酒類の提供停止に応じない飲食店に対して、取引先の金融機関から順守を働きかけてもらうと発言し、猛批判を食らったのだ。政府はすぐに撤回。背後には、近づく衆院解散・総選挙を視野に、世論や業界団体の動向に敏感になっていた自民党内の突き上げがあった。

 『感染を短期間で抑えるために守ってほしい』『不公平感を解消したい』という思いが強く出た発言でした-

     

 終章。

 この一年半を振り返ると、感染症対策として厳しい措置をとれば、経済のサイドから批判を受ける。経済を動かして感染者が増えてくると、今度は医療サイドから批判の声が上がる。誰もが一〇〇%納得していただける解がない中で、苦しい思いもした-

 巡り合わせとはいえ、コロナ担当相として、ぶら下がりを含む584回の記者会見と、2795回の国会答弁に臨んだ西村氏の偽らざる本心だろう。

(河合仁志)

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