日本人ずらり…でも「国」は見えず 不思議な3日間【ウィーン報告4】

 21~23日にオーストリア・ウィーンで開かれた核兵器禁止条約の締約国会議。私にとって初めての国際会議の取材はひたすら「日本」を感じた3日間だった。

核兵器禁止条約第一回締約国会議の様子

 まず、とにかく日本人が多い。会議やサイドイベント登壇者のほか、傍聴人やメディアも含めるとかなりの人数が集結。長崎大核兵器廃絶研究センター(RECNA)の中村桂子准教授は会場の様子のインターネット中継を視聴し「ここまで(日本人が)多い会議はなかった」と驚いていた。

 77年前に人類で初めての原爆を体験した被爆国としての関心の高さゆえ。発言する被爆者を日本の報道陣がどっと取り囲み、他国の参加者から「まるでロックスターがいるようだ」と苦笑されたのも事実だ。

 世界各国の代表や非政府組織(NGO)によるスピーチでも日本の被爆地、被爆者への言及が少なくなかった。会議初日、10代と思われる女性が英語のスピーチ原稿を手に「HIBAKUSHA」の発音を教えてほしい、と慌てた様子で頼ってきた。

 「ヒ」の発音に戸惑いつつもすぐきれいに言えるようになったので、ついでに「ヒロシマ」「ナガサキ」の発音もひとつずつ説明した。彼女はNGOの一員として「今こそ世界のヒバクシャ、つまりヒロシマ・ナガサキの犠牲者らの生きた経験を思い起こす時」と訴え、会場から大きな拍手が送られた。

 世界が「核なき世界」への一歩を踏み出す地となったウィーン。日本から来た70代や80代の被爆者、高校生や大学生などの若者が被爆の実相を発信し、各国からの参加者も日本の被爆地に思いを寄せてくれた。この場に日本政府の姿がないことがつくづく不思議に感じられた。=おわり

つぼい・えりか 愛知県出身。2019年に入社し、同年9月から長崎総局。原爆や核問題を担当。

関連記事

長崎県の天気予報

PR

PR