かつて汽水だった大濠公園 博多湾と遮断、オアシス維持へ苦難の歩み

 「福岡市の大濠公園はかつて、海とつながる国内でも珍しい汽水の池でした。淡水の池になった理由を知りたい」。西日本新聞「あなたの特命取材班」に、こんな疑問が寄せられた。戦後しばらくは黒門川から公園に海水が入っていたが、1960年代末に現在のエリアに水門が設けられ、その後に海と「遮断」された。市民が憩う都心のオアシス。その秘められた歴史と仕組みに迫った。

大濠公園から博多湾へ続いていた黒門川

◆博多湾から下水が流入

 投稿者は、水生生物などを専門にしている大学教員。投稿者によると、淡水と海水が混じった汽水の池では、国内で数カ所にしか生息していない魚類「クルメサヨリ」なども生息していたと推察されるという。

 1929年に開園した大濠公園。池は元々、福岡城の外堀の一部だった。

福岡県が作製した1938年当時の公園の平面図。黒門川は「水路」と表記されている

 NPO法人・日本環境監視協会(福岡市)理事長で、元福岡大教授の山崎惟義(これよし)さんに、水門設置の経緯などについて聞いた。大濠公園池浄化の調査研究に長年携わってきた水環境の専門家だ。

 山崎さんによると、戦後復興とともに、博多湾から黒門川に向かって、下水などが流れ込むようになった。海水は塩分が多く淡水に比べて重いため、満潮時などにこうした汚水が池に入ると下層にたまりやすい。酸素不足で魚が死ぬようになり、さらに池の臭いがひどくなったという。

 本紙の過去記事(1985年8月16日付)によると、1969年に現在の場所付近に水門が設けられ、海水の流入を制御した。当時は潮の干満に応じて開閉していたという。

(左)1985年当時の水門、(右)大濠公園の北側にある水門

 しかし73年の夏に“事件”があった。水門を開けて淡水を博多湾に排水したところ、養殖されていたいけすの魚に被害が出たという。それから、水門はほぼ閉め切られるようになった。

関連記事

福岡県の天気予報

PR

PR