478ページ目、ひたすらめくって見つけた1文字違いの「正雄」さん

〈遺留された戦争 たどる・つなぐ〉小さな位牌㊥

 太平洋戦争中にニューギニア周辺に出征していた米兵が持ち帰った「甲斐正男」さんのはい。刻まれた没日は「ダンピールの悲劇」と同じ日だった。位牌の返還を支援する依頼を受けた「あなたの特命取材班」がその日付を頼りに取材の手を広げると、身元につながる手がかりが見つかった。

◆   ◆

 第51師団は栃木・群馬・茨城の3県から徴兵された兵士らで編成された。満州や香港などを経て、ニューギニア戦線へ。1943年3月3日、ダンピール海峡付近で輸送船団が航行中に連合軍の攻撃を受け全8隻が沈没。将兵約3000人が犠牲になったとされる。

 まず茨城県遺族連合会に問い合わせた。戦没者名簿はあるがデジタル化はされていないという。「2000ページほどもある。せめてどこの市町村か分かれば…」と担当者。

 続いて群馬県遺族の会に連絡したが、戦没者名簿はなかった。県国保援護課に尋ねると、戦没者データベースを調べてくれた。「名前は1字違うが、この方ではないか」

 そこにあったのは、没日と階級が同じ「甲斐正雄」さん。宮崎県出身で、軍歴は同県庁に保管されているという。

 「男」と「雄」。混乱の中で、間違って伝わった漢字が位牌に刻まれた可能性は十分考えられる。

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 福岡市・天神から高速バスで約5時間。宮崎市の宮崎県遺族会館を訪ねた。県遺族連合会が保管している戦没者名簿「おんの魂」を確認させてもらうためだ。

 前回の取材で「甲斐正男」さんは見つからなかった。今度は没日と階級が同じ「甲斐正雄さん」を探す。戦没地がニューギニア周辺であれば、同一人物の可能性は高まる。

 遺族会館で手渡されたのは百科事典のように大きな冊子。77年刊行で、504ページにわたり戦没者の名前、年齢、階級、戦没日、戦没地が書かれている。地域ごとではあるが、名簿の並びは五十音順でも階級順でもなくバラバラ。遺族会ごとにまとめ方が異なっているようだ。

 甲斐さんの出身地域は分からず、1ページずつ確かめるしかない。

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 机と椅子を借り、作業を始めた。名前の列を指でたどり、1文字目が「甲」の人をひたすら探す。同姓の人を見つけるたびにドキリと胸が鳴り、下の名前が合致せずに肩を落とす。

 300ページあたりで目が疲れ、400ページ以降は焦りが募る。「載っていないかも…」。見つけた同姓は500人を超えた。

 開始から約3時間。「あった!」。思わず立ち上がり、大きな声を出してしまった。478ページの先頭に、甲斐正雄さんはいた。34歳で亡くなった上等兵で、戦没日は43年3月3日。現在の高千穂町の人らしい。

 ただ戦没地は「南方」とだけ。人によっては「ニューギニア」「フィリッピン」などと詳しい地名が掲載されている。会によれば「遺族の申し出を基にした記載で統一されていないのでは」という。

 出征先を確認するため、再び宮崎県指導監査・援護課に連絡し、軍歴閲覧を希望した。しかし「本人や3親等以内の遺族でなければ申請できない」と認められなかった。

◆   ◆

 遺族連合会を通じて出身の高千穂町の向山地区に住む会員にも聞いてもらった。しかし、甲斐さんや甲斐さんの遺族について知る人はいなかった。

 もし遺族が弔慰金を申請していたら、記録からたどれるかも。高千穂町が記録を調べてくれたが、「現在受給している人はいない」(町福祉保険課)という。

 ここまでか…。あきらめかけていたとき、1通のメールが届いた。

【連載㊦に続く】
【連載㊤】米国のネットオークションに小さな位牌…「甲斐正男」さんはどこに

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