油山事件の日米遺族、憎しみを越え交流 「互いを知ることが供養に」

 終戦直前、日本兵が米兵の捕虜を処刑した「油山事件」。福岡市・油山の寺院で続く慰霊法要をきっかけに、殺害された米兵の遺族と実行役の日本兵の家族が、互いを知ろうと交流を始めた。不条理な戦争で憎しみをぶつけ、殺し合った日米の若者たち。戦後77年の時を経て、当事者家族はその実像に触れ、平和への思いをいっそう強くしている。

 米兵の遺族は、米国在住のヘザー・ブキャナンさん(53)。福岡県八女市に墜落した米爆撃機B29の搭乗員で祖父チャールズ・S・アップルビーさんは1945年8月、他の米兵とともに油山で処刑された。2歳の娘を残し、21歳だった。

 親切で忍耐強く、ユーモアがある祖父のモットーは「いつもあなたに冗談、笑顔、そして優しい言葉を与える」。ヘザーさんの母が生まれた直後に陸軍に入隊。天体観測を好み、妻に宛てた手紙には「いつか家族で星だけを頼りに旅をする」との夢をつづっていた。

 ヘザーさんは幼少期に祖父の最期を知った。米兵を殺して喜ぶ日本兵の姿を想像し、憎しみを抱いてきた。祖父についてもっと知りたいと思った昨年夏、一本の連絡があった。油山観音の住職らと協力し、米兵の慰霊法要を続ける航空戦史研究家の深尾裕之さん(51)=大分県=からだった。

 深尾さんを通してヘザーさんは、昨年6月に油山で営まれた法要に参加した元日本兵の家族のスピーチに触れた。祖父をあやめたかもしれない人物は、想像していた「悪」ではなく、無理やり処刑に参加させられ、重荷を抱えて生きねばならなかった男に見えた。心が、大きく揺さぶられた。

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 元日本兵の家族とは、東京在住の左田野(さたの)渉さん(63)。21歳で西部軍管区司令部に配属されたばかりの父修さん(89年死去)は、上官の命令で米兵1人を殺害。戦後、指名手配され、3年半の逃亡生活の末、重労働5年の判決を受けた。

 「寡黙で真面目なサラリーマンだった父」は生涯、処刑について多くを語らなかった。ただ自宅に残されていた大量の手記には、命令とはいえ処刑に対する後悔や、逃亡中に感じた絞首刑になるかもしれないことへの恐怖が記されていた。

 左田野さんは昨年、初めて参加した法要で父のこうした葛藤や苦悩に触れ、処刑された米兵に対して「父に代わっておわび申し上げたい」と述べた。今年6月、そのスピーチを知ったヘザーさんから届いたメールには「もしあなたの父親が私の祖父を殺したなら、私はそれを許すことを知ってほしい」とあった。

 「まさか米国の遺族とコミュニケーションを取る日が来るなんて思いもしなかった。父も浮かばれると思う」。そう話す左田野さんは手記を英訳し、ヘザーさんら遺族に読んでもらいたいと思っている。互いを知ることこそ、亡くなった人の供養につながり、戦争について深く考えるきっかけになる-そう信じている。

 米国でライターの仕事をするヘザーさんは現在、祖父の物語を執筆している。良き家庭人だった姿を記録するだけでなく、処刑に関わった左田野さんの父親ら日本兵の苦悩にも触れるつもりだ。7月、オンラインで取材に応じたヘザーさんは「日米双方の視点を知ることで一方的な善悪はないことが分かった。平和の重要性を理解するためにも、次の世代に過去の戦争と向き合う大切さを伝えたい」と語った。 (久知邦)

 油山事件 1945年8月10日、福岡市の油山で起きた旧日本軍西部軍管区司令部による米爆撃機B29などの搭乗員処刑事件。空襲や原爆投下など米軍の無差別攻撃への処罰を理由に米兵8人が殺され、15日の玉音放送の後も証拠隠滅のため司令部に残っていた15人余りが殺害されたとされる。司令官や実行者が捕虜虐殺の戦犯として裁かれ、絞首刑や終身刑、重労働の判決が下ったが、いずれも減刑された。

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