博多ロック編<211>新しい不夜城

 福岡市の昭和通りから北に伸びる市道の一つを通称「親富孝通り」と呼ぶ。その通りに面した居酒屋「振子」の前には「親不孝通り発祥の地」と刻まれた記念碑がある。石碑には「予備校に通う子供の将来を案ずる親心から名称は生まれた」という文言が添えられている。

 この店の店主が「あぁ、親不孝モンが歩いていると思い、冗談半分でお客の予備校生にココは親不孝通りたい」と言いだしたのが始まり、という。この名称は口コミからメディアへと拡散され、定着していく。テレビでは「ヤング共和国」とも形容され、全国放送された。

 当時は水城学園、英数学舘の二つの予備校があり、いわば予備校の「門前町」として町は変化していく。「親不孝」から「親富孝」と名称を変えたのは2000年である。

 「親不孝通り」の入り口にあるギャラリー併設の喫茶店「屋根裏貘(ばく)」がオープンするのは1976年だ。当時、通りは米屋さんや公衆浴場などもある下町の風情を残していた。「親不孝通り」の名前はまだ一般化してなく、町名から「万町通り」と呼んでいた。

 「夜になると真っ暗な通りでしたね」

 「貘」の小田満、律子夫妻はこう語る。出店当時は「昼の町」だった。「貘」には予備校生がコーヒーやカレーなどを飲食するために集まった。

 「サラリーマンが来ることはほとんどなかった。予備校の先生と生徒が店で進路相談をしていたこともありました」

   ×   ×

 「親不孝通り」が昼の町から夜の町に姿を変えていくのは「貘」が開店してから2、3年後の80年代に手が届くころだ。「晴れたり曇ったり」「洗濯船」など若いオーナーによる若者向けの居酒屋が並ぶようになった。小田夫妻はその変貌に驚いた。

 「中洲に次ぐ不夜城ができたと思いました」

 「親不孝通り」は福岡市に生まれた新しい町の先駆けだった。その後、福岡市はけやき通り、西通り・大名、そして今泉・薬院と面的な翼を広げてきた。まさに、町はうごめく生き物だ。

 既存の町、中洲の近くにはロック喫茶「ぱわぁはうす」があり、天神にはフォーク喫茶「照和」があった。音楽史で見れば勢いのある町には拠点のライブハウスがあった。「ヤング共和国」の「親不孝通り」に登場するのが「80’sファクトリー」だ。

 小田夫妻が付けた店名の「貘」は悪い夢を食う架空の、伝説上の動物だ。良悪は別にして「80’sファクトリー」は博多ロックの夢を育むことになる。

 =敬称略

 (田代俊一郎)


=2014/07/14付 西日本新聞夕刊=

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