博多ロック編<214>天神に近い「新しき村」

溝上が刊行した親不孝通りのマップ(部分) 拡大

溝上が刊行した親不孝通りのマップ(部分)

 溝上徹思は1979年、福岡市中央区の親不孝通りの大型プレイマップを発行している。そのイラストは自店を中心にはしているが、他店も詳細に描き込まれ、80年代直前の親不孝通りの全体像を見渡すことができる。

 溝上は72年、同市博多区にパブ「花じゃむ」を開店して以来、次々と店舗を拡大、そのチェーン店は「てっしー村」と呼ばれ、溝上は「村長」だった。「てっしー村」の本拠地が親不孝通りだった。

 このプレイマップには「花じゃむ」が4号店まであり、この他にも「ぶあいそ」「丘の上の馬鹿」「ポパイの好きなホウレン草」など若者向けの店が10店以上もある。まさに、親不孝通りは「てっしー村」であり、溝上が作った「新しき村」だった。

 「天神から近く、テナント料も安かった」

 こういった立地の理由だけではなく、その通りと周辺は溝上の若き日の愛の思い出が詰まった場所だった。

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 溝上は自ら設定したミッションを必ず、最短距離で達成していくタイプだ。一つ例を挙げれば学生時代、九州社交ダンス大会で学生チャンピオン(ルンバ部門)になるエピソードがある。

 「半年間でチャンピオンになる」

 大学で社交ダンス部を立ち上げた溝上は公言した。トップになる方法を考えた。一つは背の低い自分でも通用するルンバ部門を選択した。九州を代表するコーチを招き、1日7時間、練習した。

 「4年間で親不孝通りに15の店を出す」

 これは好きな女性に語っていたことだ。2人は親不孝通りで4年間、同居した。溝上にとって親不孝通りは喜怒哀楽が染みついた町だった。

 「花じゃむ」1号店を出した後、8カ月間、アジアからオーストラリアを旅した。このとき、オーストラリアのある町で、週末になると人が集まる場所を知った。

 「人工的に町をつくることもできるのだと思った」

 親不孝通りに「てっしー村」をつくるのは2人で暮らした町への愛着と約束、そして旅の体験から生まれたものだ。旅から帰って間もなく2人は別れた。溝上は「てっしー村」への足掛かりになる「ぶあいそ」(不愛憎)と「会者常離」の二つを出店した。「愛も憎しみもなく」「出会ったものは必ず別れる」。別離への思いのこもった店名だ。

 「てっしー村」の一つとして1979年8月にオープンするのがライブハウス「80’sファクトリー」だ。

 =敬称略

 (田代俊一郎)


=2014/08/11付 西日本新聞夕刊=

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