【自由帳】平和学習を考える 脱受け身 自らの「問い」に

知覧特攻平和会館(鹿児島県南九州市)を平和学習で訪れ、特攻隊員の遺影や遺書、手紙に見入る小学生。未来の平和学習はどうなっていくのか 拡大

知覧特攻平和会館(鹿児島県南九州市)を平和学習で訪れ、特攻隊員の遺影や遺書、手紙に見入る小学生。未来の平和学習はどうなっていくのか

 車いすの女性は、病院内で酸素吸入を受けながら語ってくれた。震える字で紙片につづってくれた短歌は〈わが死なば 一つの戦後 失なわる 約束しよう いくさしないと〉。取材の電話を入れると、「先月、亡くなりました」というケースもあった。

 来年の戦後70年に向け、戦争体験者たちの証言を取材している。刻々と細る証言の姿が見て取れる。そんな中、平和学習のあり方を考えるワークショップ(体験型講座)が先日、九州大(福岡市東区)であった。

 小中高校の平和授業では、空襲体験者や原爆被災者が「ゲストティーチャー」として招かれる。児童生徒たちは体験に耳を傾け、感想を作文にまとめ、先生に提出する。「戦争の悲惨さが伝わってきた」「二度と戦争があってはいけない」。それは先生たちが求める「答え」でもある。

 だが、証言者の高齢化が進む中、その学習スタイルをいつまで続けられるだろう。先生は「語り部」に依存し、子どもたちの学びは「受け身」に陥っていないか。戦後70年という節目は、平和学習の今後を問い直す機会でもある。

 そんな視点に立ったワークショップには大学生や高校生、語り部、学校の先生たち約50人が集まった。

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 横浜市の中学3年生が5月、修学旅行で長崎市を訪れた際、語り部の被爆者に「死に損ない」などと暴言を浴びせた‐。ワークショップは、その記事を読み返し、感想を伝え合うことから始まった。

 「級友や引率の先生たちから、なぜ注意や制止がなかったのか。そこが怖い」「平和学習の前提となる道徳、家庭教育のあり方が問われている」

 長崎市出身の大学生は「原爆が投下された8月9日午前11時2分、どこでもサイレンが鳴るものだと思っていた。広島、長崎だけの問題ではないのに」。「(戦争を)どこか昔のこと、遠い出来事として、私たちは無意識のうちに壁をつくっているのではないか」との意見も続く。

 戦争を遠い過去、狭い地域の問題として捉えることへの違和、危機感。伝えたい側と受ける側の意識格差をどう埋めるか、その糸口は何なのか。悩める平和学習の現実が浮かぶ。

 「靖国神社」「特攻隊」「空襲」をめぐる意見交換の後、新たな平和学習のキーワードとして浮上したのが「発信型の学び」。重い先人証言を受け止めるだけではなく、自分のこととして捉え直し、「問い」の発信者となる新たな学び、といったイメージだろうか。

 「歴史にイフ(もし)はないが、あの戦争はどの時点で止めることが可能だっただろうか、話し合ってみては」「平和って何だろう。私とあなたの平和、実は違っているのではないか。意見の多様性を認めることこそが、戦争回避、平和への一歩ではないか」

 新聞記事から探す「平和って何?」▽世界各国の教科書で学ぶ「戦争」▽中学生が小学生に伝える戦争▽場面、心情理解のため、演劇に表現する‐などの授業案も提案された。

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 戦後80年、90年、平和学習はどんな姿になっているのだろうか。知人の先生や研究者たちに話を向けたが、みんな「ウーン」と考え込んだ。私も描けない。

 戦争という現実につながる、最も身近な回路は家族だ。映画「永遠の0(ゼロ)」は、特攻隊員だった祖父の人生を孫たちがたどる物語。証言取材を続けていれば、家族間の証言伝達が容易でないことも分かる。つらい体験は身内だからこそ話せない、痛みが分かるからこそ聞けない。だが、戦争と平和を考える上で、それこそが今、平和授業うんぬん以前に、素朴な「問い」から始まる学びの入り口のように思えたりする。


=2014/08/26付 西日本新聞朝刊=

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