【ケニアからの報告 国際協力60年】<下>路上の子ども救うため

「子どもたちの家」でくつろぐ松下照美さん(右) 拡大

「子どもたちの家」でくつろぐ松下照美さん(右)

 壁は壊れ、柱の上にはトタン屋根がかろうじて載っかっていた。土間には食器や衣服が散乱していた。

 「スラムよりも悲惨な状態です」。松下照美さん(68)は2年前、知り合いの非政府組織(NGO)の依頼で、ナイロビ近郊の都市ティカの民家を訪ねたことを思い出す。

 よちよち歩きしかできない男の子がいた。ムシオカ君(10)。「足の裏に虫が卵を産み付けていて動けなかったんですよ」。両親はともに知的障害があり、満足な育児ができなかった。

 松下さんは子どもの支援に取り組むNGO「モヨ・チルドレン・センター」の主宰者。ティカの路上で暮らす少年を引き取る「子どもたちの家」を運営している。ムシオカ君も引き取った。今は元気になり、5~19歳の計21人で暮らしている。

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 徳島県の山中で陶芸をしていた松下さんは1994年、知人のカメラマンに同行して隣国ウガンダを訪れたのを機に、アフリカの子に関心を持った。妹を亡くして地べたに座り込んで涙を流す10歳ほどの少年に出会い、一緒に泣いて抱きしめた経験が心を動かした。96年、ケニアに移住。路上生活の子の支援を始めた。

 当時は夫を亡くした直後だった。「愛する者を探していた私と、愛に飢えていた子どもたちの心がぴたっと合った」。2005年に子どもたちの家が完成。運営費の多くは日本からの寄付などで賄っている。

 失業率が高く、母子家庭も多いケニアでは、親を失ったり、捨てられたりしてやむなく路上生活をする子どもが少なくないという。人口20万人程度のティカにも約200人いるとみられ、増え続けているという。

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 パティ君(19)は、路上から子どもたちの家に最初に入所した少年。入所後は何十回も逃げ出し、その度に松下さんが街を駆け回って連れ戻した。路上生活の子どもの多くは空腹を紛らわせるため、安価なシンナーに手を出すという。彼もそうだった。松下さんは、売人がシンナーを渡そうとするところを止めに入ったこともある。売人とのけんかも辞さなかった。

 パティ君はスタッフを殴って更生施設に入所したこともあるが、今は落ち着き、職業訓練校に通い、就職を目指している。「諦めずに対処しているうちに、ここが自分の居場所だと思ってくれたのでは」と松下さん。アフリカに足を踏み入れて20年、なぜ続けてこられたのか。答えは簡潔だ。「私を必要としてくれる子どもたちがいるから」

 ●日本ならではの支援を 記者ノート

 7~8月にかけて、国際協力機構(JICA)九州が実施した教師海外研修に同行し、ケニアでの国際協力の現場を取材した。国際協力という言葉から道路やダム建設をイメージしていたが、政府だけでなく、大学やNGOなど多くの日本人が幅広い分野で活躍していることに驚いた。

 青年海外協力隊員には九州の関係者も目立った。北九州市八幡西区出身の米満愛美さん(24)はエイズウイルス感染者の医療支援に取り組んでいた。熊本県玉名市出身の滝下遥さん(24)は河川の汚染を防ぎ水資源を守る活動に従事。隊員だけでなく、廃棄物収集・運搬方法を改善するため北九州市から派遣された人もいた。

 取材中、現地の人に度々「ニーハオ」と声を掛けられた。アフリカでは、鉄道敷設など巨額の支援を打ち出す中国が存在感を高めている。その中で日本の国際貢献はどうあるべきか。

 ケニアで活動する日本人の多くは、手間を掛けて現地のニーズをくみ取り、きめ細かな支援を続けていた。国際協力の評価は金額だけでは決まらない。真に現地のためになる日本ならではの支援も大切ではないかと感じた。


=2014/09/20付 西日本新聞朝刊=

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