博多ロック編<220>自由奔放な「東区ロック」

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ドラムをたたく安部均

 福岡市東区の西戸崎、雁ノ巣にはかつて進駐軍の米軍キャンプがあり、兵士とその家族用の一戸建て住宅「米軍ハウス」もあった。1972年ごろキャンプは撤収したが、その後「米軍ハウス」の一部は一般向けの賃貸住宅にもなった。

 ロックバンド「ダイナマイト・ゴーン」のベース、セイヤこと栗原誠也が「米軍ハウス」を借りたのは76年ごろだ。

 「家賃が安いこともあったが、アメリカへの憧れもあったかな」

 誠也だけでなく、音楽をやっている仲間も「米軍ハウス」に集まっていた。廃墟(はいきょ)になっていた米軍の将校クラブに行くと、残されたSPレコードが散逸していた。ほとんど日本には紹介されていないブルースやロックだった。

 「このSP盤を仲間たちで熱心に聴いたこともありました」

 もちろん、借りた「米軍ハウス」はアコースティックギターなどの練習場でもあった。

 同じバンドのギター、吉村謙一は九州産業大学の学生で、東区香椎に住んでいた。東区には「米軍ハウスグループ」と同大学に近い「香椎グループ」が混然となって一群を形成していた。これらを総称して「東区ロック」とも呼ばれ
る。

 ×   ×

 「東区ロック」を代表するバンドは「ダイナマイト・ゴーン」と「フルノイズ」だ。「フルノイズ」の井上マサル、安部均なども東区に住んでいた。

 「東区ロック」について、「フルノイズ」のマネジャーをしていた川野隆之は「自由なサウンドだった」と言う。また、誠也は「どろくさいバンドだった」とも言う。比較の対象は「サンハウス」や「ロッカーズ」「モッズ」といった「博多ロック」の中核バンドである。

 同市中央区のライブハウス「80’sファクトリー」の人気バンドだった「ロッカーズ」「モッズ」のタイバン(ライブ共演者)は「フルノイズ」「ダイナマイト・ゴーン」が多かった。言い換えれば「博多ロック」対「東区ロック」の競演でもあった。

 この「東区ロック」は現在では近くの福岡県福津市までを圏内にして脈々として息づいている。特に「ダイナマイト・ゴーン」の安部は99年に同市・福間に「スタジオ・クゥー」を開き、若い世代の面倒を見てきた。安部は2013年に、57歳で死去する。追悼ライブには100人以上の仲間が集まった。

 スタジオは次世代の平川卓哉(41)が引き継いでロックの灯を守っている。

 =敬称略

 (田代俊一郎)


=2014/10/06付 西日本新聞夕刊=

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