【平和教育を考える】絵本で伝える戦争 子どもの心に種をまく

戦争と平和をテーマにした絵本を、水口さんはこうして子どもたちに読み聞かせる。次世代のお母さんたちと一緒に活動を続けている 拡大

戦争と平和をテーマにした絵本を、水口さんはこうして子どもたちに読み聞かせる。次世代のお母さんたちと一緒に活動を続けている

 8月に80歳で他界した俳優・米倉斉加年(まさかね)さんは、絵本作家としても知られた。その一冊「おとなになれなかった弟たちに…」には太平洋戦争中、乳児だった弟を栄養失調で亡くした少年時代の記憶がつづられている。

 戦時下の暮らしは皆、ひもじかった。米倉少年は、わずかに配給される缶の粉ミルクを、隠れて何度も飲んだ。母親の母乳はもう出なかった。〈ぼくにはそれがどんなに悪いことか、よくわかっていたのです〉

 〈農家のおじいさんが、杉板をけずって小さな小さな棺をつくっていてくださいました。(中略)小さな弟でしたが、棺が小さすぎてはいりませんでした。母が、大きくなっていたんだね、とヒロユキ(弟)のひざをまげて棺に入れました。そのとき、母ははじめて泣きました〉

 空襲などで戦時下、本土だけでも約50万人が亡くなったとされる。だが、米倉さんの弟の栄養失調死は、この数字には含まれていない。一冊の絵本は戦闘死、爆撃死、海没死ばかりではなく、戦争がもたらす多様な死の姿も伝えている。米倉さんは、戦争加害者としての日本、アジアの人々の視点にも立ち、〈わたしはそのことをわすれません〉と後書きを結ぶ。

 福岡県糸島市の水口瞳さん(74)は30年ほど前から、戦争体験を語り継ぐ絵本や紙芝居を使い、小学校などで子どもたちへの読み聞かせを続ける。

 「教室に入ると先生たちは、気を付け、礼、背筋を伸ばしてと、子どもたちに号令をかける。でも、私はその雰囲気を崩しちゃうの。聞かなきゃならないって緊張すると、伝わるものも伝わらないでしょ。お母さん、お父さんの言葉で淡々と、心の中に種をまくような感じで語っている」

 水口さんは戦下の幼少期、長崎県佐世保市の軍港を見下ろす高台で過ごした。

 「空襲のサイレンが鳴るたび、妹は泣き叫んだ。軍事教練で家の前を毎朝走って行く兵隊さんや、怒鳴り散らす上官を、憎しみの目で見ていた。不安だったのでしょうね。私はあのころ、大人たちの声にいつも聞き耳を立てていた」

 南方戦線で従軍した父は戦後、「死の島」とも呼ばれたレンバン島(インドネシア)で捕虜生活を終え、復員した。父は家で荒れた。祖母、母、姉妹で暮らしてきただけに、家族の空気は一変した。水口さんは「帰って来なければよかったのに」とさえ思い、父を「おじさん」と呼んだ。

 やがて、父は一つの歌を教えてくれ、父娘で合唱するようになった。

 〈オラがすむとこ レンバン島 名さえ 縁起の良い…〉。捕虜時代、戦友たちと望郷の念を募らせ、気晴らしに歌っていたざれ歌。やがて水口さんは「父ちゃん」と呼ぶようになったという。

 その楽しげな歌を水口さんは今も口ずさめる。だが、その裏にあった父の悲しみを理解できるようになったのは、大人になってからだ。「もっと、いろいろ父から聞いておけばよかったのですが…」(水口さん)。父は、戦場を語ることなく35年前に他界した。

 幾度も子どもたちに読み聞かせたのだろう。水口さんの家にあった米倉さんの絵本の表紙は、手汗で茶色に変色していた。

 一冊の絵本を通じ、米倉さんが伝えようとした痛切な記憶と願いは、同世代の水口さんの思いとも連なり、子どもたちに伝わっていく。その思いや背景について、子どもたちは今は、必ずしも分からないだろう。だが、何かの瞬間、「あのおばさんの読み聞かせ」の記憶が呼び起こされる時が来るだろう。その時、その子にとって、本当の意味での平和学習が始まる。

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 戦後70年に向け、シリーズ「平和教育を考える」を随時掲載します。


=2014/10/28付 西日本新聞朝刊=

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