亡夫の書画 私の誇り 福岡・春日市 倉地さんが遺作展

故倉地博さんの遺作展を企画した倉地慶子さん。後ろは博さんが16歳のときに描いた水墨画 拡大

故倉地博さんの遺作展を企画した倉地慶子さん。後ろは博さんが16歳のときに描いた水墨画

故倉地博さん

 福岡県春日市で30年近く書道、水墨画の教室を主宰していた書家がいた。故倉地博さん=雅号・古處(こしょ)。昨年12月19日、82歳で亡くなってから1年たつ。温厚な人柄で子どもから大人まで幅広い年齢層の生徒に慕われた。「夫が歩んだ道を、残した作品を、一人でも多くの人に知ってもらいたい」。3日から始まる遺作展を前に妻慶子さん(81)に聞いた。夫婦の絆とは。

 博さんの才能は幼いころ芽生えていた。戦時中の学徒動員では、福岡県朝倉市の軍事工場で爆撃機の図面を模写する機密部門を任された。終戦後は、駐留米軍の高級官僚に水墨画や書道、日本語を教えた。米軍の占領が終わると、10年間ほどデザイン会社を経営。その後、公民館長など多くの地域の世話役を務めながら、「先生」として人望を集めた。

 博さんは47歳のときに前妻を病気で亡くす。心配した知人や友人が選んだ10人の再婚相手の候補に、夫を亡くしていた慶子さんがいた。博さん53歳、慶子さん51歳。「伴侶を病気で失った悲しみを共有できたから」。私の何が気に入ったの、と生前に一度も聞いたことはないが、今になればそう思う。

 慶子さんは博さんが描く墨字と水墨画にひかれた。「この人を世に出したい」。春日市内の書道教室3カ所と水墨画教室1カ所の運営だけでなく、企画展の開催や人脈づくりに奔走した。「世間的なことはまったく欲がない人。文字通り、押しかけ女房みたいでした」

 愛したのは書家としての才能だけではない。いつも笑顔で声を荒らげることはなかった。生まれてすぐに母を亡くし、幼くして父とも死別した慶子さんの身の上話を、号泣して聞いてくれた。

 博さんが亡くなると喪失感から「何も手が付かなくなった」。心配した博さんの教え子や知人が、次々に家を訪れてくれた。今回の遺作展も実行委員会を結成して奔走してくれた。「あの人が培った徳が、私を見守ってくれる」。亡くなってなお、夫との絆は深まっている。

 ◇倉地博さんの遺作展は3~7日、福岡県春日市原町1丁目のクローバープラザで。小6で書いた習字や16歳で描いた水墨画、愛用した筆やすずりなど約100点を展示する。無料。


=2014/12/02付 西日本新聞朝刊=

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