博多ロック編<226>不運なカリスマ

スタイリッシュな佐谷(1983年ごろ) 拡大

スタイリッシュな佐谷(1983年ごろ)

 2001年の夏、ロックバンド「モダン・ドールズ」のボーカルだった佐谷光敏は、2日後に迫った山部善次郎のライブをのぞく準備をしていた。山善と約束していた曲をその会場で渡す予定だった。

 「36・5℃ 夏」。これが曲名だった。ところが、佐谷は脳内出血で突然に倒れ、40歳でその才能を惜しまれながらロックシーンから消えた。

 佐谷は東京から十数年ぶりに福岡に戻り、新しい生活をスタートさせたばかりだった。兄の健二はこう語る。

 「これからは他のバンドに曲を提供していきたいと話していました」

 佐谷がギターを手に取ったのは小学生のときだ。佐谷はフォークギターを弾いていた兄に頼んだ。

 「ギターのコードを教えて」「コード? 10年早い。『荒城の月』を弾けるようになったら教えてやる」。佐谷は3日で「荒城の月」を必死で覚えた。兄はコードを教えることになった。

 佐谷は中学時代に「ウオータードリンク・ファーマーバンド」を結成、高校に入り、1978年に「モダン・ドールズ」を結成した。以来、約200曲のオリジナル曲を創(つく)り出していく。そのほとんどは87年に解散するまでのものだ。

 ×    ×

 佐谷の遺品の中には作詞ノートなどに交じって一枚のメモ紙があった。81年に「モダン・ドールズ」に入った田中宏行(ベース)はそのメモを見た。

 「新生『モダン・ドールズ』のメンバーのリストがあった。再スタートへの強い思いを感じた」

 佐谷の死後、田中たちが福岡で年1回は「モダン・ドールズ」のライブをしているのは佐谷の遺志を継ぐ意味もあった。

 「モダン・ドールズ」のバンド史を語る際、二つの大きな出来事がある。一つは80年にギターの苣木寛之、ドラムの梶浦雅裕が「モッズ」に移ったことだ。

 「モッズ」は翌年にロンドンでレコーディングした。佐谷は「ロンドンデビューだ」と自分のことのように喜んだ。

 もう一つは大手プロダクションに目を付けられながら結果的にはデビューできなかった。兄が語る。

 「そのプロダクションでは吉川晃司に(佐谷)光敏の音源を聴かせてデビューさせた、と聞いています」

 佐谷のスタイリッシュな歌い方やステージは少なからず日本のロックに影響を与えた。

 「モッズ」への拍手と同時に「負けられない」との思いもずっと抱いていたに違いない。突然の死。佐谷はある意味、博多ロック界の不運なカリスマだった。

 =敬称略

 (田代俊一郎)


=2014/12/08付 西日本新聞夕刊=

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