博多ロック編<227>「音鑑」による箱崎祭

 1980年代の博多ロックを取材する中で「オンカン」という言葉をよく耳にした。「オンカン」とは九州大学の「音楽鑑賞部」を「音鑑」と短くした愛称だ。文字通り、音楽を鑑賞する文化サークルではあるが、この「音鑑」が博多ロックの大舞台を作り上げた。それが大学祭である箱崎祭のロック・フェスティバルだ。

 「これに出るのが地元バンドのステータスだった」

 「音鑑」のメンバーだった浅原貞一郎はこう振り返る。「音鑑」の部員は約20人だったが、浅原や「徳ちゃん」と呼ばれた学生など4人が中心になってこのイベントを動かした。

 浅原は中学時代、深夜ラジオから音楽を聴くようになり、ギターも買った。九州大学に入学して同級生の誘いもあり、この部に入った。部室には再生装置やLPレコードがあった。浅原が入部したころからこのロック・フェスティバルは大学祭の毎年恒例のメーンイベントとして急成長した。

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 出演バンドは浅原たちが実際にライブハウスなどの実演を見て決めることも多かった。

 「その基準はかっこいいバンドかどうかでしたね」

 九州大学工学部の大講堂前の階段にステージを組んだ。「進入禁止」といった構内にあるコンクリート付きの標識を集めて周辺に置き、そこにブルーシートを巻いて野外会場を設営した。照明、音響などの電気は生協の建物内から取った。厳密に言えば「盗電」である。

 10を超えるバンドが出演し、夕方から翌朝の始発バスが運行を始める前まで続いた。オールナイトの野外ライブだ。観客も学生だけでなく、暴走族や一般のロックファンも集まった。音に誘われてパジャマ姿の人も会場にいた。

 「いろいろ、トラブルもありました」

 電気のコードが切られることもあった。観客がステージに上がり、機材が故障したこともあった。けんかもあった。

 箱崎祭は数年間続いた。入場料は千円前後。観客は毎年、千人前後を集めた。

 「黒字でしたね。スタッフで盛大な打ち上げをしていました」

 打ち上げのお金をアルバム制作にまわした年があった。それが80年11月23日の箱崎祭ロック・フェスティバルのライブ盤である。「フルノイズ」「ダイナマイト・ゴーン」「ルーズ」「火縄銃」など13バンドの曲を収録している。

 このLPレコードは博多ロックの全盛時代の輝かしい記録であり、当時、大学祭という場がロックバンドの主戦場であったことも物語っている。

 =敬称略

 (田代俊一郎)


=2014/12/15付 西日本新聞夕刊=

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