博多ロック編<228>「かっこよさ」の正体

ドラムをたたく真崎(1984年ごろ) 拡大

ドラムをたたく真崎(1984年ごろ)

 バンド「ティティ・ツイスター」のドラマー、真崎修一は今年、バンド名をタイトルにしたインディーズ盤を制作した。CDではなく、EPレコードだ。

 「個人的にレコードが好きなこともあるが、若い世代にとってレコードは未知の新しいソフトでもある」

 このレコードにも真崎のロック観が表現されているともいえる。真崎にとってロックを一言で言えば「かっこいい」ということになる。「かっこいい」とは外見、スタイルではない。

 「常にどこかとがっていて、新しいものを求める心だ」

 メジャーになる。関係ない。金をもうける。関係ない。自分の音楽をやり続けることは商業的なものとは相いれないことを真崎は知っている。

 「この髪形で、この服装でとレコード会社から鋳型にはめられるのはどこか違うだろうと思う」

 だからインディーズこそがある意味、真崎にとってのプライドでもある。80年代の博多ロックは本流だけではなく、こうしたあえてインディーズを、アンダーグラウンドを目指すロッカーたちがいた。

  ×     ×

 真崎がドラムのビートに引かれて、たたき始めるのは中学時代だ。農家の友達の納屋にドラムセットが眠っていた。自分の大事なラジカセと物々交換した。高校に入ると、佐賀県鳥栖市から福岡のライブハウス「多夢」などをのぞくようになった。

 高校卒業後は福岡へ。バンド「スナッフ」でドラムをたたいた。博多ロックの人気バンドの一つ「キッズ」に入るのは1984年の初めごろだ。「キッズ」はボーカルとギターの桐明孝侍をフロントにして81年に結成された。真崎は「キッズ」には半年間しかいなかった。

 「バンドには迷惑をかけたが、自分の音楽の方向性とは違っていた」

 その後は「ギャング・ウオー」「ライカ・スパイダー」などのバンドで自らの音楽を追い求めていく。「ライカ・スパイダー」は山本研二率いるバンドで、今でも一部のロックファンのなかでカルト的に支持されている。桐明孝侍、山本研二は真崎にも強烈な印象を残している。

 真崎は生活のために音楽とは違う分野で仕事をしてきた。それでも音楽を捨てることはなかった。

 「過去の自分を超えていくものを作っていかなくてはいけない」

 既成の栄光に安住しないこと。それが真崎の言う「かっこよさ」の正体である。

 =敬称略

 (田代俊一郎)


=2014/12/22付 西日本新聞夕刊=

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