博多ロック編<229>100℃の恋人

「ルーズ」のボーカルの渡辺 拡大

「ルーズ」のボーカルの渡辺

 バンド「ルーズ」のボーカル、渡辺銃の1980年代の曲に「25℃の恋人」がある。25℃とはアルコール分25%の焼酎のことだ。角打ち屋で知り合った男がいつも焼酎を生で一気に飲み干していた。

 「その男が死んだことを聞いて、作り上げたものです」

 福岡市東区の西戸崎駅前のレストランパブ「888」で渡辺はこの曲の生まれた風景を語った。

 「ルーズ」のデビューは80年の九州大学の箱崎祭のロックフェスティバルである。金髪に化粧した美少年。酒を飲みながらのステージだった。「25℃の恋人」は渡辺そのものの歌でもあったかもしれないが、本当に酔っていたものは音楽そのものだ。

 「おれにできることは音楽しかない。歌うしかない」

 還暦を前にして渡辺はこう言った。

    ×   ×

 渡辺は高校を卒業後、東京で就職した。小、中学の仲間から「バンドを作るので帰ってこないか」との誘いがあった。本格的に歌ったことはなかった。仲間たちから「おまえは歌がうまい」と言われたことがあった。

 「その誘いに乗って、東京生活は1年もせずに帰ってきましたが、バンドは結成までいきませんでした」。香椎駅前の洋装店で働き始めた。店の前を同級生が通った。声を掛けた。

 「おい、マサル、久しぶりだな」

 井上マサルはバンド「フルノイズ」を率いることになる才人だった。店が終わって、渡辺が近くの食堂を何げなく見ると、マサルが中にいた。

 「また、会ったな」。会話を交わすうちにマサルが「おれの家に一緒に住ま
ないか」と話が進み、マサルの家に居候することになった。

 バンドにボーカル2人はいらない。渡辺はマサルのバンドに入ることはなかったが、2人は熱く、音楽論を語りあった。

 渡辺の「ルーズ」は当初、80年代の博多ロックの流れだったパンクロックの色彩が強かった。

 「ロック、ロックに凝り固まっていたわけでなく、ジャズ、ラテンなども好きでした」

 その多様なスタイルは「東区ロック」の系譜ともいえる。渡辺の携帯アドレスの一部には伝説のシンガー・ソングライターのウィリー・デヴィルが率いた「ミンク・デヴィル」の名が取り込まれている。ウィリー・デヴィルは渡辺の音楽志向に合致する。

 「ルーズ」はメンバーを入れ替えながら、スタイルを変えながら今も続いている。渡辺にとって音楽は「25℃」よりも度数の高い「100℃の恋人」である。

 =敬称略

 (田代俊一郎)


=2015/01/05付 西日本新聞夕刊=

PR

PR

注目のテーマ