【平和教育を考える 教研集会の報告から】原爆「聞く」から「発表」へ 群読劇で心情理解 長崎市

各地の授業実践を踏まえ、平和教育のあり方について話し合った教研集会の分科会 拡大

各地の授業実践を踏まえ、平和教育のあり方について話し合った教研集会の分科会

 〈戦争の悲惨さ→戦争反対→平和への願い〉。平和学習と言えば、そんな授業の流れが思い浮かぶ。分かりやすい。大切なことだから、先生は何度でも繰り返す。だが、児童生徒たちからは「暗い」「怖い」「くどい」「面白くない」などの反応も少なくない。楽しい平和学習なんてあり得ないだろう。学びには一定の負荷や反復も求められよう。では、どう伝えたらいいのか。戦後70年、先生たちも悩んでいる。山梨県で開催された日本教職員組合(日教組)の教育研究全国集会(教研集会)の報告から数回にわたって考えてみる。

 被爆地・長崎市の「子ども平和の集い」は1987年に始まった。反戦平和に向けて戦後40年、被爆二世の教職員たちが中核となって取り組むようになった。毎年6月前後に開催され、今も続く。初年は、被爆体験者から話を聞き、千羽鶴を折り、平和メッセージを記した風船を飛ばした。90年代になると、教職員たちが、証言に基づきあの日を再現する劇を演じた。

 だが、2009年から手法を変えた。それまでは観衆だった小学生たちが舞台に立ち、「群読劇」を公演するようになった。群読劇は、卒業式などでよく見られる。在学中の思い出などを、児童生徒たちがリレー形式で語る手法だ。公演の主役を、大人から子どもへと反転させた。

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 「そのとき、ズシン…と、大きな音がしたので、びっくりして家の前を見ると、黄色や緑色に光った」「ぼくはぼうくうごうへ行った。友だちがそこらに泣いていた」「あくる日、外を見ると、1本の電信柱が立ち残っていて、線香のように、頭からチョロチョロ火をあげてもえていた」

 分科会では昨年の事例が報告された。被爆当時、7~10歳だった子どもたちの証言を、今の小学生たちが1節ごと分担し、朗読したという。

 「平和学習について、子どもたちには『暗い』というイメージが強く、ゲームなども取り入れてみたが、違和感があった。かといって、ガリガリの知識注入型の集いにはしたくなかった。子どもたち自身がまず感じる。それが大切だと」

 そう振り返るのは当初からの運営メンバーで元小学校教諭の平野伸人さん(68)。今も反戦平和に向けた高校生の署名活動などを支援する。

 小学校中学年の児童たちが作り上げ、発表する「群読劇」はそんな視点から生まれた。役割演技(ロールプレー)の手法を取り入れた発表型の学び。子どもたちが分担するのは、ほんの一言なのだが、背景を含めた心情理解が求められる。声に出して読むことで、理解はより深まる。発表する喜びもあろう。

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 07年に他界した哲学者の池田晶子さんは著書「14歳の君へ」でこう記す。

 〈戦争に反対すると、口で言うのは簡単だ。起こっている戦争に加担するのも簡単だ。難しいのは、そもそも戦争とは何なのか、なぜ人は戦争するのかということについて、どこまでも深く見抜いてゆくことだ。考えることだ。(中略)それは、平和は善で、戦争は悪だと思い込んでいるよりも、はるかに賢いことなんだ〉

 平和教育の難しさは、いじめ指導とも似通っている。「いじめは犯罪だ、人権侵害だ、悪だ」と、指導を繰り返しながらも、絶えることはない。

 平野さんは「子どもたちにどう伝わっているか、私たちはその目を見て判断するしかない。その理解は十分でないかもしれない。だが、そのフレーズが心に残り、またあるときよみがえり、考え続ける一歩になれば」と話していた。


=2015/02/17付 西日本新聞朝刊=

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