【平和教育を考える~教研集会の報告から】特攻 伝える難しさ 不条理 多様な見方 九州各県

特攻隊員の写真や遺書が展示されている知覧特攻平和会館には、平和学習で訪れる小中高校生たちが増えている=鹿児島県南九州市 拡大

特攻隊員の写真や遺書が展示されている知覧特攻平和会館には、平和学習で訪れる小中高校生たちが増えている=鹿児島県南九州市

 戦時下、九州から多くの若者が戦地へ向かった。都市や離島まで空襲の標的となり、特攻の出撃拠点にもなった。8月9日、長崎への原爆投下。戦後は中国、朝鮮半島からの引き揚げ者の受け入れ拠点にもなった。教研集会の分科会「平和教育」で、九州各県の先生たちの取り組みを聞いていると、その痕跡の深さと広がりを痛感する。平和を考えるための「戦争とは何だったのか」。その学びの糸口が九州には多様にある。

 大分市の小学校教諭(42)は、特攻をテーマにした5年生の授業を発表した。校区内には旧海軍航空隊があった。教材としたのは、終戦の日の玉音放送後に特攻を命じられた中津留達雄大尉=当時(23)=の生涯。生まれたばかりの娘がいた大尉は、部下らと計23人で沖縄に向けて出撃。米軍に被害を出すことなく、自ら海岸に突っ込んで亡くなったとされる。

 「なぜ、大尉は飛び立ったのだろう。戦争は終わっているはずなのに」

 そんな問いから授業は始まり、遺族証言などから考えたが、なぞは解けない。特攻隊員たちが訓練飛行を積んだ大分県宇佐市の「戦争遺跡」も見学。「死ぬのが怖くなかった隊員は一人もいない。『お国のために』とよくいわれるが、多くの若者は家族や恋人を守るために戦った」。ガイドの言葉に、児童たちは聞き入ったという。

 特攻隊員の手記を読むなど、学習は6年生まで続けられた。教諭は「個人の意思が押し殺された時代、戦争の怖さ、隊員の無念、悲しみを知ってもらいたかった」と言う。

 「戦争はしないと誓います」「命を大切に生活していきたい」。児童たちの授業感想文を紹介し、教諭は学習効果を強調した。

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 ところが発表の翌日、教諭の発表を紹介した新聞記事が波紋を広げた。「『特攻隊』で平和学習 “タブー”題材扱う」の見出しで、教諭の本意とはかけ離れた記事になっていた。

 特攻をめぐっては、さまざまな見方がある。「彼らの死があって、戦後日本の繁栄がある」とする英霊論。「戦争の残酷さ、非人間性の象徴」として、反戦平和の教訓と捉える見方。米中枢同時テロ(2001年)を、神風特攻隊になぞらえ「カミカゼ」と捉える海外メディアまである。

 教諭は反戦平和の教材として、授業実践を発表したのだが、英霊論寄りのニュアンスで記事化された。

 小説「永遠の0(ゼロ)」は、特攻隊員だった祖父の人生を、孫たちがたどる物語。ベストセラーとなり、映画化もされたが、その感じ方も多様なのだろう。

 「戦争が遠くなり、無関心になっていくのが怖い」。分科会ではそんな声も聞かれた。そのためにも、地域に刻まれた足元の戦争から平和を考える学習は欠かせない。ただ、さまざまな歴史認識を含めて「知る」「伝える」ことの難しさも浮かんだ。

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 九州各県からは、地域の証言や記録を基に、平和学習につなげようとする幅広い取り組みが報告された。

 「広島、長崎で二重被爆した山口彊(つとむ)さんの同僚証言に学ぶ」(熊本県)▽「6月29日 延岡大空襲を語り継ぐ」(宮崎県)▽「絵本や紙芝居を使い、小学校低学年にどう伝える」(鹿児島県)

 今の時代感覚では容易には読み解けない戦争。不条理であるがために、その見方も分かれ、ぶつかり合う。各地に刻まれた戦争を、子どもたちに、どの段階で、どこまで、どう伝えるのか。教師たちの苦悩ぶりもうかがえた。


=2015/02/24付 西日本新聞朝刊=

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