博多ロック編<236>泣こうよ、笑おうよ

80年代の人気バンド「フルノイズ」(アルバム「フルノイズ82」から) 拡大

80年代の人気バンド「フルノイズ」(アルバム「フルノイズ82」から)

 博多ロックは地元出身者だけで形作られたものではない。バンド「春風馬亭」の井上マサルは長崎県出身で、2期「春風馬亭」の相方になる中村晃二は東京出身だ。マサルと晃二の出会いは偶然だった。

 高校生でライブハウス「照和」のデビューを果たしたマサルは1973年に高校を卒業後、1期「春風馬亭」を解散した。マサルを応援していたイベント会社「夢本舗」の事務所に居候に近い形で出入りしていた。

 「長崎のライブハウスで仕事がある」

 「夢本舗」からの紹介で長崎に出かけた。楽器はボンゴだけでなく、ギターも練習していた。弾き語りのライブ前日、長崎市の通りを歩いていると路上で自作のアクセサリーを売る男がいた。晃二だ。声を掛けた。晃二は言った。

 「沖縄に貝殻を拾いに行く途中だ」

 東京からアクセサリーを売りながら南下していた。当時の言葉で言えばヒッピーだ。

 「今日、泊まるところあるのか」と聞くと、晃二は「ない」というので、マサルのホテルに一緒に泊まった。翌日、晃二はマサルのライブに出演し、マサルの横でダンスしながら「イエッ」と合いの手を入れた。その後、一緒に1カ月ほど沖縄を旅した。

 東京、福岡にそれぞれ帰ったが、マサルが「福岡に来んね」と誘い、2期「春風馬亭」が誕生した。ブルースバンドとして人気があったが、2人ともボーカルだったことなどもあって3年弱で解散した。マサルは「フルノイズ」を、晃二は「ダイナマイト・ゴーン」を結成した。「春風馬亭」は二つのバンドに枝分かれした。

 ×    ×

 1978年に結成された「フルノイズ」はロッカーズ、モッズなどと並ぶライブハウス「80’sファクトリー」の常連メンバーだった。

 「プロデビューなんてどうでもいいやん。泣こうよ。笑おうよ。苦しもうよ。もがこうよ」

 これがマサルの泥臭いロック観だった。ステージ終了後、共演者との打ち上げにも出ず、さっと帰って練習した。他のバンドとは一線を画していた。レコード会社からの誘いもあった。自分たちの流儀が制約されることが嫌だった。先輩ロッカーたちから「そこは我慢しないと」のアドバイスもあったが、器用にはなれなかった。

 「フルノイズ」は80年代後半に空中分解した形になった。90年代に入り、再結成されたが、その後、休止状態だった。歳月を経ての今秋のライブ。マサルはどのような「心の叫び」を伝えてくれるのだろうか。

 =敬称略

 (田代俊一郎)


=2015/03/09付 西日本新聞夕刊=

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