【生きる 働く 第3部】3・11~地域に根を張る<上>仙台の味で笑顔広がれ

客席からの「おいしいね」に顔をほころばせる渡辺光弘さん 拡大

客席からの「おいしいね」に顔をほころばせる渡辺光弘さん

 仕事を辞め、新たな道を探っていた渡辺光弘さん(27)=宮崎市=がふと思い出したのが、あの味だった。

 大学時代に訪れた仙台市の郷土料理、牛タン焼き。かみしめたときのうま味がジワッとよみがえると同時に、東日本大震災の光景が頭に浮かんだ。遠い宮崎で東北に思いをはせることも、復興支援の一助となるかもしれない。腹は決まった。

 「宮崎で仙台牛タン焼きの店を出そう。おいしいものでみんなを笑顔にする」

 津波が引いた泥まみれのまちは、木ぎれと鉄の塊の吹きだまりのようだった。人影を捜して一日中歩き回る。渡辺さんは宮崎県警機動隊員として被災地にいた。

 3・11は、入隊の4日後だった。訳も分からないうちに「宮城県のどこか」に派遣され、救援活動を始めた。仲間に「○を持ってこい」と言われても、まだ機材の名前すら覚えていない。後続部隊と交代するまでの1週間、1人の生存者も、遺体も見つけることはなかった。「何をしていいかも分からず、結局何もできなかった」

 小学1年で柔道を始め、名門の東海大に進み、県警柔道チームへ。「柔道イコール人生」の道を歩んできた。山岳や水難事故で活躍する機動隊に入って「市民を守る」はずだった。

 しかし‐。

 被災地では、全くの無力だった。宮崎に戻ってからも訓練漬けの日々が続いた。一度も出動しない月もある。いざというときの訓練だと頭では分かっていても、自分の中で膨らむむなしさを抑えられなかった。

 「柔道以外にも道があるんじゃないか。他のことも勉強してみたい」。震災8カ月後、県警を去り、仙台に向かった。

 「牛タン焼きを覚えたい。無給でいいから働かせてください」。仙台の老舗店に頼み込み、弟子入りした。包丁の握り方から始め、肉の下処理や味付けを体にたたき込む。社長宅に下宿して1年の修業を積んだ。

 2013年に宮崎市で開いた「福太助(ふくたすけ)」は、珍しさもあって遠方からも客が来た。「おいしいね。街中にも店を出してよ」。笑顔がうれしくて2店目も開店した。

 飲食業界に飛び込んで気づいたのは、宮崎の食材の素晴らしさだった。特にほれ込んだのが、隣の綾町だ。

 豊かな自然を守る有機農業を、町を挙げて推進しており、野菜の評判が高かった。町内で育つ「綾牛」はふるさと納税の返礼品として人気に火が付き、県内にはほとんど出回らないほど。渡辺さんは「地元の人にこそ食べてもらいたい」と、2店目の目玉に綾牛を据えた。

 流通面の課題も見えてきた。牛肉の一大産地なのに県産タンを確保しづらい。卸業者が一頭丸ごと買い上げるシステムのため、タンだけを集めるのは難しい。生産者との信頼関係を築き、ルートを切り開いていくしかなかった。

 昨年10月、渡辺さんは綾町に経営拠点となる会社を設けた。「きちんと結果を出して信頼を勝ち取り、町の食材を任されるような会社になりたい」。住居も町内に移すつもりだ。

 迷いながら見つけた、「食」の道。いつか従業員たちを連れて師匠の店を訪ねたい。そのときは、自信あふれる姿を東北に見せたいと思っている。

    ◇    ◇

 4年前の東日本大震災は、私たちに人間の無力さや命のはかなさを突き付けた。あの日をきっかけに生き方を見つめ直し、地域に根ざして働こうとする人々の今を追う。


=2015/03/10付 西日本新聞朝刊=

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