【生きる 働く 第3部】3・11~地域に根を張る<下>東京離れ 家族も仕事も

コワーキングスペースのカフェで仲間と語らう須賀大介さん 拡大

コワーキングスペースのカフェで仲間と語らう須賀大介さん

 高層ビルがこんにゃくみたいにグニャグニャと揺れていた。全ての車が止まり、中央分離帯に人が駆け込む。騒然とする東京の真ん中で、恐ろしさがこみ上げた。「もう家族に会えないかもしれない」

 須賀大介さん(38)の人生はこのとき、流れを変えた。

 東日本大震災が起きたのは、ウェブ制作会社を起業して10年目。社員は35人に増え、維持コストだけでも毎月2千万円を要す規模になっていた。「自分だからできる仕事」を目指していたはずが、いつの間にか「利益のためにこなす仕事」に追われていた。会社に泊まり込み、幼い長男は妻に任せきり。頑張っているのに、空回りしているような感覚が付きまとった。

 「このままでいいのか」と3・11に突き付けられた。

 空回りの理由、それは「何のために働くのかを見失い、家庭とも向き合えていない。地に足の着いた生き方ができていないからだ」と気付いた。経営者としての危機感も芽生えた。東京が唯一の基盤のままでは、家族も社員も守れないと思った。

 「一体何を言ってるの?」とけげんな顔をする社員に、須賀さんは正直な気持ちを伝えた。「一番近くにあるものを大切にしながら働きたい。一家で福岡へ移住しようと思う」

 東京にアクセスしやすい場所を探し、長野や山梨も見て回ったが、福岡が最も気に入った。海の深い青、夕日の赤。電車内で息子に向けられた温かいまなざし。福岡市にオフィスを設け、東京と二つの拠点でやっていくことに決めた。

 自分が東京にいなくても継続できる経営体制を、半年かけて社員たちと話し合った。トップダウンで仕事を割り振るのでなく、一人一人が顧客をつくり、各自判断する仕組みに切り替える。利益優先の仕事はそぎ落とそう。社員の半数は不安を訴えて辞めていったが、残留組が「自分の会社」という意識で仕事に向き合うようになった。1人当たりの利益は、2年で回復した。

 一方、震災翌年に福岡で再出発した須賀さんは‐。

 東京での実績がそのまま通用するほど甘くはなかった。「何をしてきたかでなく、福岡のために何ができるかを語って」。新しい取引先の言葉に、足元を見つめ直した。

 「地域と深く結びついて仕事をつくる」。須賀さんの目指す新しい働き方が動きだした。

 本業に加え、移住支援プロジェクトに取り組み、今年1月には糸島市でコワーキングスペースを始動させた。

 コワーキングスペースとは、あらゆる業種の人々が集う共有オフィス。情報やアイデアを持ち寄って「協働」する空間でもある。空き店舗を改築し、月額4500円で利用者を募ると、ライターや映像制作、料理、農業などを専門とする10人が集まった。地域観光ツアーや情報誌作りなど、一緒に何ができるか話し合いが始まった。

 併設するカフェやゲストハウスでは、イベントを開いたり、移住希望者や観光客の短期宿泊を受け入れたりと、活動はどんどん広がっている。

 多くの人とつながりながら、得意分野を生かして柔軟に働く。「どこにいても仕事はつくることができる。まだ実験段階だが、きちんと利益を上げて成功する人を出し、継続できる働き方だと証明したい」

 福岡に来て、内気だった長男が生き生きとした表情に変わった。妹と自然の中で遊び、いろんな大人に見守られて成長している。須賀さんも「太い根っこを張って暮らしている」と実感している。

 =おわり


=2015/03/12付 西日本新聞朝刊=

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